城山(じょうやま/前山城址)
 〜眺望は素晴らしいが落城の歴史を伴う〜標高727m〜
 佐久市にある、中世の山城址(前山城址)の山。往時、この地方の有力な豪族であった伴野氏の居城であった。別掲の虚空蔵山(虚空蔵山烽火台址)のやや南東に位置し、頂上本郭址付近からの眺望は素晴らしく、佐久平を一望できるのはもちろん、その背後に連なる四阿山、浅間山など、上信国境の山々が雄大に見渡せる。また「山城址」としても、その遺構の保存状態は良好であり、結構見ごたえがあるので、訪れてみる価値は十分あると思う。
 もっとも、そこにまつわる実際の歴史に関しては、決して「栄光」の歴史というわけではなく… この城、どうも地形的な問題や、山麓からの比高不足等が災いしたのか、甲斐の武田信玄の信濃侵攻以降、数度の落城を繰り返している模様なのだ。そして武田氏滅亡後の天正年間、依田信蕃の攻撃を受けてまたも落城、城主の伴野信守はからくも城から逃れたものの、その子の貞長は数年後に討死するなどにより、ついに伴野氏は滅亡してしまったという… かくも苛烈な歴史をはらむ山城址ゆえ、武田氏の侵攻を受けた他の多くの信州の山城址と同様、ここに訪れるに際しては、(事前知識を有して訪れるのである限り、)ある程度の「心構え」は必要であろう。
 この城址に訪れるには、上信越自動車道「佐久IC」からなら、ICを出てから右へ進み、「佐久IC西」交差点で国道141号線に突き当たったら左折、しばらくそのまま直進する。千曲川を渡り、「跡部」交差点を過ぎた先の「野沢西」交差点を右折して1km程で前山集落に入れば、じきに登り口を示す案内看板を左の道脇に見出すことができる。車はそのすぐ先の公園(旧前山小学校の跡地)の駐車場に駐めるのがよいだろう。以後は徒歩で、先の案内看板のある所から、しばし落葉で滑り易い急斜面を上がると、15〜20分程で「大神宮」の祠と東屋などがある本郭址に至る。東屋のすぐ脇の四等三角点標石のあるあたりから東方を眺めると、上述の通り、そこからは佐久平が一望の下であるのはもちろん、晴れていればその背後に、浅間山の優美な姿などを望むことができる。眺望がいいだけに、ここに山城が築かれたことにも至極納得できるのであるが、同時に、この山城址にまつわる落城の歴史を思うにつけ、筆者など「国敗れて山河あり」という言葉を思い出さずにはいられなかったものである。
 なお、この城址のある峰の名称については、例によって国土地理院の地形図上には何らの記載もないが、『長野縣町村誌 東信篇』の「前山村」の「古跡」の項中「伴野城跡」に「村の戌の方
城山の頂上にあり」とあるので明確だ。(注:「伴野城」は現在では「前山城」の別名となっている。)

 ← 前山城本郭址(背景は浅間山方面)

【緯度】361335 【経度】1382630