象山(ぞうざん/竹山城址)・妻女山(さいじょさん/妻女山陣址)
 〜豊かな歴史性を有する優しい里山〜標高476m(象山)・411m(妻女山)〜
 両山とも信州の小京都・城下町松代の付近にある優しい里山。標高的にも登頂に要する体力的にも、一般には登山の対象として採り上げられることがまずない山々だが、そんな面での物足りなさを補って余りあるのが、両山ともに有する豊かな歴史性だ。
 まず象山だが、ここは長野県人なら県歌『信濃の国』でおなじみの信州の偉人・佐久間象山ゆかりの山。麓に「象山神社」があり、彼の住居跡が隣接する。同山に訪れる場合、付近は古い城下町のせいか道が狭く、駐車スペースもないので、象山神社の参拝者用駐車場を利用せざるを得ず、自然、同神社にも参拝する形になろうが… しかし実際問題として、そこへの参拝を割愛しては、象山訪問の興趣が半減するのもまた確か。頂上までは、同神社前から長野市の遊歩道をたどり、ほんの15〜20分程度で達する。標高470mを少々出る程度の低山ながら、眼前に拡がる善光寺平や、その背後に連なる飯縄山や戸隠連峰などの展望良好の好峰。当然のごとく、戦国時代にはここに城郭(竹山城址)が設けられていた。『長野市誌』第12巻資料編等によれば、付近の豪族・清野氏の一族である西条氏の要害であったという。
 また、一方の妻女山は、象山のやや西にあり、山というより尾根の末端のような地ながら、ここもまた歴史的には重要な地点で、例の武田・上杉両氏による川中島の戦いの中、最激戦となった永禄四年の合戦の際に、上杉謙信が本陣とした場所として著名。訪れるには、松代町から象山の麓を通過して千曲市方面に向かう道の左手に「妻女山展望台」の標識を見出したら、後はそれに従い車を走らせれば、頂上まで全く歩くことなしに行ってしまう。この点「山」として採り上げるには、当初いささか物足りないものを禁じ得なかったのであるが… それでも前述のような歴史性と、象山同様に良好な善光寺平等の展望などを買い、あえて収録。
 (付記:なお、この妻女山については、本来は「齋場山」と表記していたところ、江戸時代に現在の表記が当てられたものであり、また真の頂は、現在妻女山と呼ばれている地よりもやや南西に位置する円頂であるとの説がある。実際『長野縣町村誌 東信篇』中「土口村」の「山」の項を参照すると、「齋場山」として「嶺上より界し、東は清野村に属し、西南は本村に属し、北は岩野村に属す」との記述があるが、この内容を素直に地形図に当てはめてみれば、明らかに現在の妻女山よりも若干西にずれていることが判る。また、現在妻女山と呼ばれている地については、実は「赤坂山」という別の呼称が存することも同書中「清野村」の「妻女山」の項から確認できるし、さらには従前より疑問が呈されていた「本当にあの狭い妻女山の上に、1万人を超える上杉勢が布陣できたのか?」という問いにも明快な回答を提供することなど、多くの点で先の説は非常に興味深く、傾聴に値する説だと思う。この件については、別掲の「天城山・齋場山・薬師山」の項にも若干述べているので、併せて参照されたい。)

 ← 象山頂上三角点(背景は上信越自動車道長野ICあたり)

【緯度】363321 【経度】1381143
(緯度・経度は象山に合わせてあります。妻女山はその西に位置しています。)