天城山(てしろやま/天城城址)・齋場山(さいじょうざん)・薬師山(やくしやま)
 〜地味な山域ながら歴史性満点〜標高695m(天城山)・513m(齋場山)・438m(薬師山)〜
 別掲の妻女山の西から南にかけて存在する、知る人ぞ知る山々。それでも「薬師山」については、上信越自動車道の「薬師山トンネル」の上の山といえば少しはピンとくる向きもあろうが、他の2山は地図上に山名もないし、あまり知る人はあるまい。然るに、これらのいずれの山も実際に訪れてみれば、意外に豊かな歴史性に接することができて驚かされる。特に古墳に興味のある向きには、一度訪れてみる価値はあるだろう。
 さて、これらの山々に登るには、別掲の妻女山のすぐ南の分岐を右へ「あんずの里ハイキングコース」を進む。この道、車も通れる広い道で、標識も適当な間隔をおいて設置されており有難い。しばし進むとまた分岐があるが、そこで右へ進むと齋場山から薬師山方面へ、左へ進むと天城山方面に行ける。
 天城山を先に紹介しよう。分岐からさらに進むと、やがて左に「登山道コース」なる標識があり、広い道と分れて樹林の中の小道へ。やや薮がちだが、そのうち道は左にトラバース気味に斜上して尾根上に出る。ここで右へしばし登ると三角点のある頂上。樹木が邪魔をして展望は今一つだが… よく付近を見ると、古墳の石室らしきものが傍らに見出されて驚く。後で調べたら実際「坂山古墳」という正真正銘の古墳のようだが、一方でここは戦国時代の山城址(天城城址)だったというので、その当時はこの石室も城の物資貯蔵場所等の設備に転用されていたかも知れない。なお、この山の呼び方は、最初アマギサンというのかと思ったが、後で調べてみるとテシロヤマ或いはテジロヤマというのが正しいらしく、人によってはテンジョウサンという者もあって判然としないが、ここでは一応読み方が自然と思われるテシロヤマとしておく。(注:『長野縣町村誌 東信篇』の「土口村」中「山」の項には「手城山」とあり、これだと明らかにアマギサンとかテンジョウサンとは読めないので、おそらくはテシロヤマ或いはテジロヤマで正しいのだろう。ちなみに本項では当初、テジロヤマとして紹介していたが、後述する長野郷土史研究会会員で地元出身の林盛幸氏によれば、地元ではテシロヤマという人が主流とのことだったので、訂正したところ。)
 往路を先の分岐まで戻ったら、今度は齋場山経由で薬師山へと向かう。少し進むと、ほどなく道は円頂ピークの左手を巻いていくが、この円頂ピークが齋場山。頂上筆者の訪問時点では特に標識等はなかったが、あまり整って丸い峰なので妙に思っていたところ、後で調べたら、これもまた「齋場山古墳」なる古墳らしい(!)。もっともこの山、前述の通り国土地理院の地形図上には山名がなく、また『長野縣町村誌 東信篇』の「土口村」中「山」の項を参照すると「齋場山」の名の掲載はあるものの、位置的に近い「妻女山」と読みが重なる上、同書中「清野村」「岩野村」の項では、いずれも「妻女山」の記述で統一されていること等から、筆者は当初、この円頂ピークを同書中「齋場山」の次に掲載されている「北山」に相当するのではないかと考えていた。実際、「北山」の項にある「山脈、辰巳の方手城山に連り…」とか「岩野村にて方今笹崎山と云ふ」との記述を地形図に照らし合わせてみると、ほぼ位置的に辻褄が合う上に、同書中同じく「土口村」の「陵墓」の項には「古塚」として「北山の峯頭にあり。其の形ち圓にして裾二級有り。」との記述があること等から、確証は得られなかったものの、ほぼそれに間違いあるまいと長いこと思っていた。
 しかし、つい最近、妻女山で偶然お会いした、長野郷土史研究会会員の林盛幸氏の説によれば、先の私の判断は誤りで、例の円頂ピークは「齋場山」であり、かつ、現在招魂社のある「妻女山」の地は本来「赤坂山」という全く別の山名で呼称されてきた地であって、齋場山こそが真の妻女山(注:「妻女山」は実は後世の当て字)なのだとのこと(!)。確かにそう言われてみると、先の『長野縣町村誌 東信篇』中「齋場山」の項の「嶺上より界し、東は清野村に属し、西南は本村に属し、北は岩野村に属す」との記述内容を地形図に当てはめれば、明らかに現在の妻女山よりも若干西にずれていることが判るし、また同書中「清野村」の「妻女山」の項には「又赤坂山と云ふ」という付記があること、さらに「齋場山」を真の妻女山と考えれば、川中島合戦で上杉謙信が雨宮で鞭声粛々と夜千曲川を渡るに至る動線的にも自然なこと等、諸点において全く納得できる説であることから、この機に先の筆者の判断は訂正し、別掲の妻女山とは別に「齋場山」も山名紹介に加えることとした次第。実際「斎(いつき)の場」との意味を有する山となれば、少なくとも地元では古来非常に重要な意義を有する場であったに相違ない。(注:なお、同説の論拠については、先の林氏が運営されているHP中「妻女山の位置と名称について」に詳しいので、是非参照されたい。非常に貴重かつ素晴らしい研究成果だと考える。)
 さて、齋場山からは、「土口将軍塚古墳」なる壮大な前方後円墳を経由して結構山稜を下ると、やがて素朴なお堂がまつられている一角に出る。先の『長野縣町村誌 東信篇』中「岩野村」の「古跡」の項に「笹崎山薬師」として紹介されている地で、このあたりが一帯がいわゆる「薬師山」。地元の人の古くからの信仰が垣間見えて興味深い地だが、頂上というよりは尾根の末端みたいな地。また地形図上三角点のある地点もここなのだが、筆者の訪問時点では三角点標石は何故か見当たらなかった。
 以上、両山を登るのに要する所要時間は、コンディションにもよるだろうが、まあ3〜4時間あればよいだろう。

 ← 天城山を望む(齋場山・薬師山方面との分岐付近より)

【緯度】363255 【経度】1381016
(緯度・経度は天城山に合わせてあります。齋場山はその北、妻女山南西の510m等高線のある円頂です。)