高遠山(たかとおやま)
 〜山麓の人々には「高くて遠い」山?〜標高1,221m〜
 長野市と旧真田町(現:上田市)との境に位置する「地蔵峠」の西にある山。地形図で見ると案外存在感のある山の割に、実際に訪れてみると道らしい道もなく、また標識もなければ過去の歴史的遺物めいたものも見当たらない。いささか意外な感もするが、山麓の人々にとっては文字通り「高くて遠い」山だったということか。
 この山に登るには、「新地蔵峠」から西に延びる「山の神林道」に入り、途中の分岐は左へ。さらに約1kmほど走って林道が下り加減になったら、そのあたりが取付点なので注意。適当なスペースに駐車し、そこから南に向けて樹林の中を稜線上まで登りつめ、後は最も高い峰を目指せばよいのだが、道形らしきものは特に見当たらないので、適当に登り易いところを選んで行くしかない。ちなみに筆者は残雪期にスノーシューで登ったので、林道の取付点から30〜40分ほどで難なく登頂できたが、無雪期だと薮が若干きつくて難航するかも知れない。
 頂上周辺は丈の低い熊笹が繁茂する、樹林に囲まれた静寂な場所。前述の通り人気のほとんどない頂上だが、それでも付近の樹林の切れ間から、間近に奇妙山や保基谷岳、また遠くは高社山などが望まれる。多少地味ながら好感の持てる山だ。
 なお、この山、新人物往来社刊『日本城郭大系 8 長野・山梨』の「その他の城郭一覧」中「ノロシ山」の項の記述によれば、長野市松代の海津城(松代城)から送られた合図を、ノロシ山を経てこの山に渡し、そこから上田小県方面に伝えていた(つまり、狼煙台が設けられていた)とある。2013年に発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)にも、この説を受けて現地調査を行った結果が掲載されているが、現地には特に遺構らしいものは発見できなかったとしている。実際、筆者が訪れた際も、頂上付近には特に山城址らしい痕跡は見受けられなかった。頂上一帯は結構広い平地で、割と見通しもききそうなので、狼煙台が設けられていたとしても別段不思議はないように思われるのだが… 少なくとも往時、このあたりを中継して狼煙の信号が送られていたことだけは確かのようであり、その情景を想像するだけでも、歴史ファンには大いに興味深いことであろう。

 ← 残雪の山稜(高遠山頂上直下にて)

【緯度】363026 【経度】1381316
(明瞭な道はありませんので、後はルートの選択次第です。)