戸屋の城山(とやのじょうやま/戸屋城址)
 〜春日氏が来訪当初に築いたという山城址〜標高720m〜
 長野市七二会、別掲の春日山(春日山城址)の近くにある、戦国時代の山城址(戸屋城址)のある山。『長野縣町村誌 北信篇』の「七二會村」の「古跡」の項によれば、この城は延徳元年(1489年)に故あって越後の春日山から現在の七二会の地に来訪した春日大膳大夫が、来訪当初に築いて居城していたところであるというが、その後何代目かの後、春日氏は別掲の笹平城を新たに築き、そちらに移っていったとのことであり、特に実戦の記録はないらしい。(注:その後の春日氏の事跡については笹平城の項に記載してあるので、そちらも併せて参照願いたい。)
 また、城址としてはともかく、「山」としては特に地元呼称がない模様であるため、ここでは当面地名から「戸屋の城山」と仮称紹介しておくことにした次第。(注:もっとも「戸屋」という地名は『長野縣町村誌』の「字地」の項には記載があるものの、国土地理院の2万5千分の1地形図上では確認できない。いずれにせよ、今後別の呼称等が判明した場合には、随時修正したい。)
 訪れるには、国道19号線を長野から松本方面に向かい、「瀬脇」の交差点で右に折れて七二会方面に上がる。七二会中心部の「市場」集落上部の丁字路は左へ。400mほど進んだへんの分岐を右に入ったすぐの所に、長野市観光課で設置した「性乗寺、春日山公園、戸屋城址、萩野城址案内図」があるので(注:平成20年3月16日現在)、それを参照して行けば難なく到着できるだろう。「市場」集落から先の車中からも、尾根の先端部が小高く盛り上がった上に東屋がある一角が見えるので目安になる。道は存外高くまで上がっており、頂上直下まで車で入れてしまう上に、その直下のへんまで人家が迫っているので、実のところ山城址としてはともかく、「山」としては多少拍子抜けの感を禁じ得ない。もっとも頂上へと続く道は車を乗り入れるには多少細いので、やや下方の適当な所に地元の人の迷惑にならないよう駐車の上、歩いていった方が無難。頂上の本郭址とおぼしきあたりには、確かに山城址らしい土地整形の痕跡がみられ、その手前には新しい「戸屋城跡」の石標が設置されている。また最高点には麓からも目立つ大きい東屋が建ち、その脇には素朴な小祠が祀られている。展望は長野市街地方面が良好。

 ← 戸屋城址の峰を望む(東山麓の橋詰集落への入口付近より)

【緯度】363747 【経度】1380420
(橋詰集落のすぐ西にある、尾根の末端部の720m等高線のある峰です。)