木曽殿城山(きそどのじょうやま/木曽殿城址)
 〜木曽義仲の遺児力寿丸が隠れた砦址〜標高1,116m〜
 今は長野市に合併した旧鬼無里村にある素朴な寂峰。その名の通り、木曽義仲ゆかりの山で、義仲の遺児力寿丸が身を潜めた砦の址という。ちなみにこの付近には他にも「木曽殿アブキ」という岩窟など、力寿丸にまつわる遺跡があり、往古の昔に想いをはせるには良い土地柄だ。
 この山に登るには、長野方面から国道406号を鬼無里まで行き、中心部の交差点を左折して白馬方面にしばらく進むと、おやき屋のすぐ先に「木曽殿城山 1,115m」と書かれた立派な標識が出てくるので、それに従い右折。松原集落の上の茸栽培施設付近が登り口だが、そこに達するまで若干道が判りにくいかも知れない。茸栽培施設からは徒歩で少々林道をたどり、「松原木曽殿城址」の標識のある分岐を右折すると、またすぐに同様の標識があり、道はようやく山道らしくなって左に斜上する。後はその道を忠実にたどればよい。この道、国土地理院の地形図上には道の表示がないが、昔は山での生業に重要な道だったとみえ、路傍には素朴な馬頭観世音の石像がいくつも目につき興味深い。1時間半ほども登れば、小広い草薮の中の頂上に達する。特に標識もなく、三角点標石があるだけの地味な頂。展望的にも樹木が障害となり今一つだが、それでも樹間に虫倉山などが望まれる。また一帯の雰囲気は確かに隠し砦でも設けられていたようにも見えるが、戦国時代より以前の源平合戦の頃の砦址であるためか、空堀とか郭等の明瞭な山城址の痕跡は特に認められない。
 (注:なおこの城址、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』とか、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)などの参考文献にはほとんど記述がないものだが、『長野縣町村誌 北信篇』中「鬼無里村」の「古跡」の項には「木曾殿城址」として、「東西五十間、南北三十間、面積五反歩、村の亥の方松原組にあり。今林となる。四方空谷の中に突立す。里俗傳に養和年中木曾義仲當城に據りしと云ふ、確乎たらず。」とあり、また同じく「山」の項にも「木曾殿城山」が明記されているので、ここでは一応城址としても紹介しておくことにした次第。ちなみに郷土出版社刊『定本 北信濃の城』では、この城に義仲の遺児が身を潜めたというのは伝説に過ぎず、実際には別掲の萩野城などと同様、戦時における村人の避難場所として設けられたらしい、この地方に多くみられる高地の城の一つであろうとしている。)

 ← 木曽殿城山頂上(明るいが樹木が展望に障害)

【緯度】364143 【経度】1375851
(松原集落の北西の1,115.7mピークが、本項で紹介する木曽殿城山です。)