古山の城山(ふるやまのじょうやま/古山城址)
 〜大日方氏本城であった豪壮な山城址〜標高800m〜
 小川村にある、戦国時代の山城址(古山城址)のある山。
 古山城は、別掲の真那板城と同様、大日方氏が城主であったという城であるのみならず、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、先の真那板城址は「小川古山城の支城か」とのことゆえ、どうせ支城を歩いたなら、やはり参考までに本城の方にも訪れてみたいもの。ちなみに『長野縣町村誌 北信篇』によれば、この地方は小川氏(注:大日方氏の前の古山城主)が代々領していたが、応仁2年(1468年)に村上顯國に攻められ滅亡したため、以後、顯國の幕下であった大日方弾正忠長政が領するようになったとある。また、長政の後は直政、直忠と続いたが、その後甲斐の武田氏の信濃侵攻が始まり、直忠の男子5人により対応評議の際、長男の直經のみ自立を唱えて武田に従わなかったため、弟らが直經を殺害したところ、祟りがあったため、一族で申し合せて古山城址に「金吾大善神」の祠を祀るとともに、「明松寺」を開基し、直經の霊を弔ったという。この「明松寺」、実は別掲の真那板城址登り口の馬事公苑に隣接している寺であり、また古山城址の北麓には「信州の猫寺」として名高い法蔵寺があるが、ここは古山城主であった小川氏と大日方氏の菩提寺であるなど… この一帯の旧跡等の多くが特に大日方氏を中心に相互に関連していて興味深い。
 で… 実際に訪れてみると、別掲の真那板城址とは違い、こちらはしっかり史跡指定されていて、「古山神社」経由で道もあり、本郭址にもちゃんと標柱がある。特に上部の相当急峻な切岸や、明瞭に残る郭や空堀の遺構の様相は、さすがに「本城」らしく豪壮な造りで見応え十分。訪問所要時間は「古山神社」の参道入口から同神社経由で本郭址のある頂上まで、片道30分程度。
 なお、この山、大日方氏の本城址という重要な位置を占める地である割には、特に「山」として地元呼称がない模様であるため、ここでは当面地名から「古山の城山」と仮称紹介しておくことにした次第。無論、今後別の呼称等が判明した場合には、随時修正したい。

 ← 古山城本郭址(「金吾大善神」の祠が祀られている)

【緯度】363718 【経度】1375646
(西戸谷集落付近の神社表示のすぐ北西にある標高800m等高線の峰です。)