桐原山(きりはらやま/桐原城址)
 〜往時の豪壮さを今に伝える見事な山城址の遺構〜標高948m〜
 松本市里山辺あたりにある、戦国時代の山城址(桐原城址)の山。追倉山とか大蔵山ともいうようだが、ここでは城址の名称と同様に「桐原山」の名で紹介することにした(注:『長野縣町村誌 南信篇』の「入山邊村」の項に「桐原山にあり。里人稱して今大藏山と云ふ。」とあることから、当面これに従う)。地形図上では一見単なる尾根上の標高点に過ぎないかのようであるが、実際に登ってみると、桐原城主郭址の背後が小笠原氏の城郭の特徴といわれる深い空堀によって断ち切られていることもあって、しっかり山の「頂上」の体をなしている。
 この城、小笠原氏の本拠林城(別掲の東城山参照)の属城として武田氏と対峙したが、天文17年(1548年)の塩尻峠の合戦で大損害を被ったことによる兵力不足が災いし、天文19年(1550年)、武田氏の侵攻の前に、まともに反撃もできぬまま本拠林城と同じく自落したという。
 登るには、いくつかルートがあるようだが、筆者の場合は山麓の松本市桐原付近より標識に導かれ、「海岸寺沢」側から急斜面の道をほんの30〜40分も登りつめると主郭址に至った。主郭は周囲に見事な石垣が巡らされ、後背の高い土塁の先は前述の通り深い空堀によって断ち切られている。また、主郭から西の尾根上にも石垣を伴う段郭の連続がみられ、往時の豪壮さが容易に想像される。

 ← 桐原山を望む(山麓の桐原集落付近より)

【緯度】361412 【経度】1380135
(追倉集落のすぐ東の948m標高点の地点が、本項で紹介する桐原城址です。)