東城山(ひがしじょうやま/林大城址)
 〜雄大な規模を誇る小笠原氏の山城址〜標高846m〜
 戦国時代、甲斐の武田氏と対峙した小笠原氏の本拠地の山城址(林城址/同城址は「大城」と「小城」があるが、こちらは「大城」の方)の山。「金華山」ともいうが、西にある別掲の城山(犬甘城址)と対比する意味で、松本市の人々は普通「東城山」と呼んでいるようなので、ここではとりあえずその呼称を採用しておく。後日考えが変わったら「金華山」と標記を改めるかも知れない(ちなみに林大城は別名を「金華山城」ともいう)。
 この山に登るには、松本市里山辺の薄川に架かる「金華橋」の脇から「東城山遊歩道」という登路があり、ほんの30〜40分程度で土塁に囲まれた頂上の主郭址まで達することができるが、残念ながら付近に駐車スペースがほとんどない。東の橋倉集落から車道を主郭址の直下まで車で上がることも可能だが、この城の規模の大きさを実感するには、やはり「東城山遊歩道」を歩いてみたい。頂上近くなるにつれて、次々と道の両側に目につく空堀や郭の多さ、またそれら個々の工作箇所の規模の雄大さ… さすがは小笠原氏の山城群の中でも本拠地だっただけのことはあると思わせる。これほど壮大な規模を誇る山城址は、そう多く見られるものではなく、長野県史跡に指定されているのは至極当然であろう。
 然るに、歴史上この城が実際にいかなる働きをしたかといえば… 現実には甲斐の武田氏の侵攻に対し、既に先年の塩尻峠の合戦で大損害を被っていたことなどが災いして、まともに戦うこともできないままに放棄されてしまったらしい。いかに堅固な城であっても、そこを守るのは所詮は人。皮肉にも相手の武田氏による「人は城、人は石垣…」などという言葉が思わず連想されてしまう。

 ← 東城山を望む(薄川堤防上より)

【緯度】361329 【経度】1380034