城山(じょうやま/埴原城址)
 〜この城の落城が小笠原勢総崩れの因に〜標高1,004m〜
 松本市中山あたりにある、戦国時代の山城址(埴原城址)の山。別掲の桐原山(桐原城址)などと同様、地形図上では一見単なる尾根上の標高点に過ぎないかのようであるが、実際に登ってみると、主郭址の背後が小笠原氏の城郭の特徴といわれる高い土塁と深い空堀によって断ち切られていることもあって、しっかり山の「頂上」の体をなしている。しかもこの「頂上」部の土塁は地形図上も明瞭に判別できるほどの規模を誇っており、往時の豪壮な城砦の模様を想像するには十分すぎるほどのものがある。
 然るにこの城、小笠原氏の本拠林城(別掲の東城山参照)の有力な属城として武田氏と対峙したものの、現地説明板によれば、天文19年(1550年)、武田氏の侵攻に存外あっけなく落城の憂き目に遭い、その結果が本拠林城や桐原城など小笠原氏配下の城砦群の武田氏への抵抗意欲を著しく殺ぎ、最終的に有力な属城の大部分が総崩れ状態で自落に至る直接の引き金になったという。実際に現地に訪れて、その城郭遺構の雄大さを見るにつけ、この城が簡単に陥ちたなどとは、にわかに信じ難いことだが、結局、天文17年(1548年)の塩尻峠の合戦で大損害を被ったことによる兵力不足が致命傷となったものであろう。
 登るには、山麓の松本市中山に近い町村集落付近より「埴原城入口」と刻まれた標石に導かれて登山道に入ればよいのだが、駐車場所に乏しいのがネック。筆者の場合は道が細くなり車が行き止まった所で、地元の人の迷惑にならぬよう、自車の後部を細まった道の間に突っ込むようにバックして強引に駐車したが、車に傷付けたくない向きには決してお薦めできない駐車方法だ。一般には登り口直下の「蓮華寺」にお願いして参拝者駐車場をお借りするのが最も無難かも知れない(注:ちなみに同寺は『長野縣町村誌 南信篇』の「中山村」の項によれば、皮肉にも小笠原氏の宿敵、武田信玄の開基という)。ともあれ駐車したら、後は徒歩で主郭址を目指す。最初のうちは時季によって草薮が鬱陶しい箇所もあるかも知れないが、それも樹林の中に入ると良く整備された道となるので心配はない。高度が上がるに従い、山城特有の郭や堀切が目につくようになるが、その規模の雄大さたるや、近くにある小笠原氏の本拠林城にも匹敵するほどのものがあり、さすがは長野県史跡に指定された山城址だけのことはある。登り口から30〜40分で、石垣も構築されている主郭址らしき所に達するが、何段かの広い郭の先に、ひときわ高い土塁があり(注:この上を一応この山の「頂上」とみなす)、その先は前述の通り小笠原氏の城郭の特徴を示す気が遠くなるほど深い堀切となっている。
 なお、この城址の山名については、地元での聞き込み調査の結果により、当面「城山」として紹介しておく。(注:筆者としては、別掲の東城山に近いことなどもあり、何か別の山名があるのではないかと期待したのだが… 皆、例外なく「城山」と答えたので仕方ない。)

 ← 埴原城址の城山方面を望む(山麓の町村集落付近より)

【緯度】361119 【経度】1380057
(町村集落の東の1,004m標高点の地点が、本項で紹介する埴原城址です。)