山行記録帳(2016)
〜Yamazaki's Photo Diary 2016〜


 【山行・自然観察リスト】
 2016年最初の山〜皆神山  激務の合間の気晴らしに〜聖山  心の保養のつもりが…〜毛無山と坊主山
 今度こそ心の保養に〜物見石山  意外と涼しい夏の里山〜妻女山(斎場山)  9年ぶりの再訪〜佐渡島のドンデン山
 蝶の観察2016〜ベニヒカゲなど  所用のついでに寄り道〜水晶山  素晴らしき大展望〜城山(久米ヶ城址)
 2016年最後の山〜小牧山(小牧山城址)


 2016年最初の山〜皆神山
 1/1、私にとって毎年元日恒例の、長野市松代「皆神山」に訪問。
 昨年は前夜に雪が降ったこともあり、無事に車が皆神台の上まで上がるかどうかヒヤヒヤものであったが、今年はこれまで、思いのほかの暖冬傾向で、頂上皆神神社の境内にもあまり雪は見当たらず、昨年右足を負傷し完治していない私にも安全なコンディションであったのが幸いだった。
 ちなみに私、神社に参拝する際には、通常、特に具体的な「願い事」を頭に浮かべることはないのであるが… 今年の場合、前述のように足に「故障」を抱えての訪問であったせいか、珍しく漠然と足の早期完治などという具体的な「願い事」をつい思ってしまった次第。
 もっとも、今年の場合、足の故障のみにとどまらず、私の身辺には公私共に様々な課題やデューティが目白押しゆえ… 要はそれらに取り組むにあたり、心機一転の機会にしたいという気持ちが例年になく強かったのも確かではあるが… さて、果たして今年は私にとって、どのような「山」との出逢いがあることだろうか…?







 仕事の合間の気晴らしに〜聖山
 先の山行記の末尾に、どのような「山」との出逢いがあることだろうか…? などと記して以来、はや数ヶ月。今年は私にとって、仕事の上で正念場となる年を迎えることは、既に昨年以前の段階で十分予測しており、それゆえ少なくとも年の前半は著しく多忙で、そうそう山にも行ってはいられまいとは覚悟していたが… 仕事の性質上、身体的にもさることながら、精神的な疲労の蓄積には想像を絶するものがあり、それゆえ少しでも身体を休めようと家で床に入っても、仕事のことが頭に浮かんできて夜も熟睡できぬ有様、挙句の果てには体調を崩して医者の世話にならざるを得なくなり… 昨年被った足の故障の影響とも相俟って、当然、山に行こうなどという意欲も起こらぬまま時は経過、気がついてみれば、はや季節は初夏も近い5月半ばになってしまっていた。
 したり、このままでは、山にも蝶にも、年に一度の折角の機会を徒過してしまうぞ… とは思ったものの、いかんせん、心身が充実していないから、そうそう長時間の山歩きや遠出をする気も起こらず… それでもここらで、せめて「山」の雰囲気の一端なりとも味わって来たいものだと、5/14、にわかに思い立ち、私には馴染みの手軽な山「聖山」に訪問してみた。
 そうしたところ… たとえどんな楽な山であっても、やはり山は山。事務室で眉を寄せてパソコンの画面を眺めているよりは、余程気晴らしにはなるもの。午後の訪問だったせいか、期待した頂上からの北アルプスの大展望は、やや霞がかかって今一つパッしなかったものの、それでも相も変わらず秀麗な双耳峰の姿を見せる鹿島槍ヶ岳などが、あと半月ほどのラストスパートに向けて、私にささやかながらエールを送ってくれているかのように見えたものであった。







 心の保養のつもりが…〜毛無山と坊主山
 前項の山行記に記したような、私にとって心身共にこたえた仕事上の激務も、6月上旬をもって一区切りの節目を迎えた。それから約1ヶ月間の残務処理を経て、ようやく身辺に若干の落ち着きをみた時には、はや季節は夏真っ盛りの8月に。足指の故障の方は、さすがにこの頃までには、黒くつぶれた爪も既に脱落して文字通り完治していたが、片や昨年後半から続いた気苦労の連続により心身に蓄積した疲労の方は、そうそう容易に抜け切るものでもなく、久々に明るく爽快な夏の高原をのんびり歩いて「心の保養」をしたいなどと思い立ったのは、8/7、もう盆まで一週間ほどという時点に至ってからのことだった。
 ともあれ、その日は結構日が昇ってから家族同伴で自宅発、まずは高山村から万座温泉方面に向かい、旧小串硫黄鉱山跡への入口である毛無峠まで上がって駐車、そこから徒歩15〜20分ほどで「毛無山」の頂に立った。この山、一見地味な山ながら、その明るさと手軽さ、頂上からの展望の良さ、さらに模型飛行機マニア等で比較的賑わっている毛無峠から近い割に、意外と静寂な雰囲気などから、私のみならず家族にも結構人気が高いので、これまで幾度も訪れてきた所だが、今回もまた期待に違わず、山上には下界の暑さが嘘のような天然クーラーの涼風が吹き抜け、また若干曇り加減ではあったものの、間近に破風岳や土鍋山など、お馴染みの面々も望まれ… と、ここまではまずまず上々の気分。
 しばし頂上の憩いを楽しんだ後、駐車場所に戻り、引き続き「志賀草津ルート」まで上がって横手山方面に車を走らせていく途中、折角だからと草津白根山地蔵岳と車道を隔てた向かいにある「坊主山」についでに立ち寄っていこうなどと考えたのが運のツキ。家族はその辺で待っているというので、私だけデジカメを持って駆け上がり、間近の地蔵岳や横手山など、周囲の山々の展望画像を撮影しながら、だだっ広い頂稜上を歩いていくと、ふと直下の斜面で時ならぬガサガサという笹をかきわける音が響いた。ハテ、カモシカかとその方を見下ろした私の目に映ったものは、一目散に斜面を駆け下って丈の低い潅木の中に消えて行く、やたらに黒くて丸々とした見慣れない動物… ヤヤ、こりゃ熊じゃないか!
 一瞬見た加減では、目測で体長60〜70cm程度とさほど大きくなく、いかにも子熊といった印象、となると、近くに親熊がいるはず、と思い当たるに及び、私はにわかに背筋に寒気が走った(注:後で詳しい人に聞いたら、その大きさだと子熊でもなく、3歳くらいではないかとのこと)。それまでの「心の保養」のノンビリ気分などいっぺんに吹き飛び… 私はただ一人、にわかにこみ上げてきた、わけのわからぬ笑いを抑えることもできず、冷汗をかきながら、こそこそとその場を後にした。







 今度こそ心の保養に〜物見石山
 先日の山行が、思いもかけない熊との遭遇というハプニングに見舞われ、何やら慌しく妙な雰囲気のうちに終わってしまって以来、数日が経過した8/11、今度こそは本当に「心の保養」の山歩きをしてみたく、改めて適当な山はないかと、あれこれ考えた末、目的地に選定したのが、美ヶ原の一角にある「物見石山」。
 観光地化して久しい美ヶ原高原一帯にあって、その中心部からやや外れた場所に位置する「茶臼山」、あるいはここ「物見石山」は、これまでの経験上、どんなに美ヶ原台上が観光客で溢れる時期に訪れても、常に比較的静寂な雰囲気を保っている貴重なエリアだ。そしてこの日も期待に違わず、途中で出逢った人はほんの数人のみ、ほどなく到着した頂上では同行した長男を除いては一人の人もなし… 私は明るく爽快な雰囲気の下、頂上周囲に拡がる蓼科山、霧ケ峰・車山、鷲ケ峰、三峰山などの眺めや、往復の路傍に咲く可憐な夏の山野草の花々などを心ゆくまで楽しむことができ… かくて先日来の希望であった「心の保養」を、ようやく一応の納得がいく形で果たすことができた次第。
 それにしても、最近は疲れのせいか、年齢のせいか、はたまた、これまであまり登り過ぎて、さすがの私もいい加減「飽き」がきたのか、休日になっても以前ほど強烈に「山に行きたい!」という意欲は湧き起こらなくなってきた。実際、これまであまりに眼の色を変えて、近所の山で目ぼしい所は登り尽くしてしまったがために、新しい山といえば、必然的に遠出せざるを得なくなっているのが、ただでさえ減退している山行を、さらに億劫にしている一因ではあるのだが… それでも、別に義務感にかられて登る必要もないのが「山」というもの。いつでも気が向いた時に、すぐに手軽に訪れられる、今回の「物見石山」のような場所が常に用意されている限り、気が向いた時に行くといったスタイルの山歩きも、それはそれでまたよいのではないかと思い始めている今日この頃である。







 意外と涼しい夏の里山〜妻女山(斎場山)
 2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」。私の地元信州に深く関わりのある真田一族が物語の中心ということもあって、私も最近のNHK大河ドラマにしては珍しく、これまで全話観続けているが、その真田一族が当初仕えていたのが、甲斐の武田氏。武田氏とくれば、まず連想されるのが、越後の虎・上杉氏と数度にわたって対峙した「川中島の戦い」であり、その中でも最激戦となった永禄四年(1561年)の戦いにおいて、上杉氏が陣を張った場所、とくれば、戦国時代の歴史ファンならたちどころに「妻女山」と答えることだろう。
 ところが、実は今「妻女山」と呼ばれている、現在松代招魂社と展望台があるあたりは本来の「妻女山」ではなく、それよりやや西に位置する円丘状の峰こそ、真の「妻女山」であるとする説があるのだ(実は私もその説の信憑性が高いのではないかと考える)。そのあたりの詳細については別項を参照されたいが… ともあれこの度、久々にその真の「妻女山」=「斎場山」に訪れてみたい、という気がしてきたのである。もっとも先のNHK大河ドラマでは、あくまで真田氏が物語の中心ゆえ、「川中島の戦い」はさして詳しく描かれていたわけではないのだが… 要は何かのきっかけさえあれば、山行の動機にはこと欠かないということだ。
 というわけで、いささか前置きが長くなったが、迎え盆の墓参りも終わった8/13の午後、その「妻女山」=「斎場山」にふらりと訪問してみた。何もこんな夏の真っ盛りに、わざわざ標高1,000mすら割っているような、いかにも暑そうな里山に訪れなくてもよさそうなものだと呆れる者もあるかもしれないが、実際に行ってみると、木陰というのは想像以上に涼しいものなのだ。少年時代、真夏に虫穫りなどで里山を歩いた経験のある者なら、誰しも記憶にあることだろう。
 とはいえ、やはり盛夏。そこそこ汗をかいた末、樹林に囲まれた頂上に立つと、そこには以前の訪問時にはなかった山名看板や「五量眼塚古墳」の木柱、そして、蜂が巣を作らないように普段は寝かせてある木製ベンチが置かれてあった。私は早速、そのベンチを起こして腰掛け、しばし心地好い汗をぬぐっていると… そのうち、傍らの木にキアゲハがふわりと舞い降りてきて、私と同様に暑い陽射しを避けるかのごとく、ゆったりと翅を休めていた。






 9年ぶりの再訪〜佐渡島のドンデン山
 今年はどうも公私共に多忙な年で、仕事が落ち着いた後も何やかやと慌しく過ごしているうち、とうとう盆を迎えてしまった。さすがにこのような年は、この時期恒例の、年に一度の夏休み中の家族サービスの企画に際しても、あまり遠方まで足を延ばす気にならず… 結果、距離的には長野県に比較的近いが、本州と海を隔てていることから多少遠出気分を味わうこともできる都合の良い地「佐渡島」に1泊で訪問してみることにした。ついては、折角だから同島滞在中に、どこか手軽に訪れられそうな山にも一箇所立ち寄ってみたい、というので、家族と話の上、「ドンデン山」をその候補地として選定。
 というわけで、8/15、まだ暗いうちに長野発、直江津港でフェリーに乗り込み、夜が明けて間もないうちに、はや小木港着。天気予報によると、どうも空模様が芳しくないので、まずは山を優先して訪れてしまおうということになり、佐渡島上陸後、わき目も振らず一路ドンデン山目指して車を走らせ、無事登り口の「ドンデン山荘」前に到着して駐車。
 後はのんびり歩いて頂上へ。登り口からしばし潅木のトンネルを潜り抜けると、すぐに明るい山稜上に。アサギマダラなどが優雅に舞う草原を抜け、難なく頂上着。そこからは、佐渡島の最高峰・金北山や、眼下に「ドンデン池」、さらに島らしく間近に海岸線の眺めなどが良好だったが… 最近の天気予報はよく当たる。早くも金北山あたりに妙な雰囲気の雲が湧き起こり、間もなく雷の音まで響き始めたため、さほど長居もできず… しばし周囲の展望を楽しんだのみにて、また登り口の「ドンデン山荘」前まで戻った。
 なおこの山、実は私には初めての山ではなく、平成19年(2007年)以来、9年ぶりの訪問。初訪問時の明るく爽快な雰囲気が忘れられず、再度訪れてみたくなったものであるが… 考えてみると、その年の私は感染症で体調を崩して夏山シーズンを棒にふり、ようやく回復した後、せめてもの家族サービスとして佐渡島旅行を企画したのであった。奇しくも今回もまた、昨年の足の故障に引き続き、職場の激務でいささか体調を崩した後での訪問という点で似通っており… どうも私にとって佐渡島という所は、そのような場合に心身を癒してくれる巡り合せの場所になっているらしい。







 蝶の観察2016〜ベニヒカゲなど
 最近の私には、山と自然観察(特に蝶)がセットになっているので、山にあまり行かなければ、それと連動して蝶の観察の方も減る。私にとって、今年は正にそんな年になってしまい(前もって予測はしていたことながら…)、正直、若干不本意な感はある。
 然るに反面… 「蝶」というものに対する、私自身の興味関心自体が、知識の集積や周辺の状況変化などとともに、次第に変質してきていることもまた、偽らざる事実である。
 例えば、以前は土日といえば何かに取り憑かれたかのごとく、毎週のように里山に通いつめてきたものが、その過程において、どんな種類の蝶が、いつ、どんな場所に出現するのか、またその幼虫はどんな環境で何を食しているか、等を年々把握していくとともに、今では時期・場所ともピンポイントで訪れれば、通常なかなか見ることのできない希少な種も含めて、ほぼ確実に目的の蝶に出逢うことができるようになってきた。それはそれで限られた時間の中、効率が良くて好ましいことなのだが… その代償として、以前にはしばしば感じられたような「ワクワク感」が、最近あまり感じられなくなってきてしまったのも事実である。
 それに… そもそも(特に希少な)「蝶」を素直に楽しむこと自体、最近は状況によって、なかなか難しくなってきた。
 というのは… 私が少しずつ蝶の観察にハマり始めてからだけでも、「長野県希少野生動植物保護条例」の制定(平成15年)に引き続き、平成18年に同条例指定種にオオルリシジミなどが指定、次いで平成23年にはヒョウモンモドキが「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(種の保存法)」の指定種に追加、さらに平成25年には松本市奈川のゴマシジミが「松本市文化財保護条例」の市特別天然記念物に指定、と相次ぎ… 年々法的な締め付けが強くなってきた挙句、ついに今年には、長野県全域においてアサマシジミとゴマシジミが「長野県希少野生動植物保護条例」の指定種に追加された上、ゴマシジミについては「種の保存法」の指定種にまで追加されてしまった。両種とも、これまで私にとって大いに興味を持ち観察を継続してきた馴染みの種であったのに、これからは、見に行くだけでもあらぬ疑いをかけられるのではないかと思えば、おちおち観察に出掛けることもできたものではない。(実際、今年、某所で下に掲載した画像を撮影するだけでも冷汗ものだった。) 実に嘆かわしい限りであり、それゆえ最近、その面でも蝶観察への意欲自体が減退しつつあることは否定できない。
 思うに、そもそも、減ったものは何でもかんでも法や条例で縛ればいいという発想自体、やや短絡的に過ぎるのではないだろうか。現に私自身、今述べたとおり最近はあまりの規制拡大に嫌気がさし、蝶観察への意欲が減退しつつあるし、私がそうである以上、他にも同様に感じる者が相当多数いてもおかしくはあるまい。良くも悪くも、蝶に関心のある者が大勢いてこそ、実効性のある保護対策も期待され、展開されることであろうに… 世の中「無知」ほど怖いものはない。知らない人は、たとえどんな希少種の生息環境でも、平気で草を刈ったり薬をまいたりすることだろう(現に私自身、蝶に関心を持つ前はそうだった)。それに大体、法的規制がなされるにあたっては、多くの場合「○○審議会」とか称して、その道の専門家の意見などを徴するのが常道だろうが、「その道の専門家」自体、中には過去に散々蝶を採りまくり、当該種の衰退に一役も二役も買っているような手合いが多く含まれているに相違ない。(何故なら、一定量の個体を採って研究しない限り「専門家」になることなど到底不可能に近いはずだからだ。) そんな連中が今更、したり顔をして「何々の蝶は数が減ったから採集を規制するのが適当」だなどと、抜々とのたまう聖人君子のごとき意見など聴きたくもないし、また聴くも身の穢れ(どうしてもと言うなら、自分のそれまでの行状を包み隠さず世間に公表してから物を言ってもらいたい!)、というのが、少なくとも私を含めて「実害」を被る現役観察者としての、偽らざる実感なのだ。
 どうも最近の傾向は、やたらと「保護」の二文字を強調することにのみ偏しているようで、総合的・長期的に保護施策の実効性を確保しようという視点に著しく欠けているように思えてならない。実際、私自身、詳細は略すが昨年ある蝶の産地で同地関係者の一方的かつ横柄な態度によって非常に不快な思いをさせられた経験があり(今回の文面が少なからず過激になってしまった理由は、実はそのことが多分に影響している)、そのような状況では、いくら正しいことでも、素直に協力する気にならなくなってしまう人も多く出るのではあるまいか。そして、最近のような傾向が今後さらに増進すれば、むしろ多数のファン離れを来し、結果として世間一般の無知・無関心さの方がより助長され、ひいては種の衰退を早めるがごとき、本末転倒の結果を招来することも、長期的には懸念されるように思うのだが…?







 所用のついでに寄り道〜水晶山
 12/4、この日は、たまたま所用で飯田市近辺に訪れていたが、折しも天候は良好、久々かつ折角の機会でもあり、せめて短時間でも、どこかこの辺りの手軽な山に上がって、少しばかり「山」の気分を味わってみたくなり… にわかに「水晶山」が頭に浮かんだ。
 この山、ちょうど所用の往復途中で、ほんのわずかに外れただけで訪問可能な格好の場所に位置していたので… 早速車をその方向に走らせ、難なく頂上直下まで乗り入れた。私には平成20年(2008年)の11月に訪問以来、8年ぶりの訪問。
 頂上部は「水晶山公園」と名付けられ、ちょっとした平地になっているが、特に「公園」らしい施設があるわけではなく、広場の縁に平成9年以来、毎年元旦に二尺玉の花火を打ち上げるという筒が設置されているのが目を惹く以外、その近くにひっそりと二等三角点標石が埋設されている程度の地味な場所に過ぎない。しかし今日の場合、好天気でもあり、頂上からの展望を第一に期待しての訪問だった。が…
 いざ頂上に到着してみると、意外と周囲の樹木が邪魔で、かろうじて南アルプス仙丈ケ岳方面等が樹間から望まれたのを除いては、まるで期待したような眺めは得られなかった。そういえば、8年前に訪れた際にも確かそうだったような気もするが、思い出そうとしても、どうも記憶が定かでない。はて、これまで、あまりに多くの山々に訪れ過ぎたせいか、さすがに私も、次第に記憶が他の多くの山々とごっちゃになってしまったのか、はたまた寄る年波ゆえ、いよいよ老化の前駆症状が始まったものか…(!?)
 というわけで、事前に期待した割には、いささか拍子抜けした気分を覚えたのみならず、新たな「心配」までもが喚起されるハメとなり… 少なからず釈然としない思いを胸に抱いたまま、しばらくして山を下りた。






 素晴らしき大展望〜城山(久米ヶ城址)
 水晶山への訪問後、私は一旦山を下りたが、しかし先の頂上で期待した展望が得られなかったことなどが、もやもやと心の奥にわだかまっていた。ここは何とか、そんな気分を多少なりとも払拭した上で帰途につきたいもの。で… にわかに頭に浮かんだのが、水晶山からほど近い「城山」こと「久米ヶ城址」。したり、そこなら、帰りの途中ですぐに立ち寄れるし、頂上に展望台もある。先の水晶山の不足を補って余りあるほど良好な眺めを楽しめるに違いない! というわけで、善(?)は急げ、早速、車で同城址の直下の駐車場へ。
 車から降りるやいなや、まず目に飛び込んできたのが、恵那山の雄大で黒々としたヴォリュームあふれる姿。私は思わず、おぉ、と感嘆しつつ、取り急ぎ展望台に駆け上がって周囲を見渡す。と… 見える、見える。先に「水晶山」からも望めた仙丈ケ岳も含む南アルプスの雄峰の面々や、北信地域住人の私には、日頃あまり接する機会がない中央アルプス南部の山々、さらにそれらの前衛に聳える風越山など、やや地味だが見逃せない山々… それは実際、期待以上、文句なしに素晴らしい大展望!
 おかげで、先に水晶山で感じたもやもやなど、大部分がどこかへ吹き飛んでしまった。もっとも、あまり時間的に余裕はなく、ほんの10〜15分程度の滞在で、すぐにその場を後にせざるを得なかったが… 帰途の私の心が思いのほか晴れやかだったのは言うまでもない。
 なお、帰るみちみち、水晶山で感じた食い足りなさを、久米ヶ城址で補完する、という流れ、どうも前にもあったような気がしてきたので、帰宅後に調べてみたら、平成20年(2008年)の11月に、少なくとも訪問順に関しては同じパターンで訪れていることがわかった(その際の模様については別項参照)。ただ、その時は、先に平谷村の「高嶺」と「長者峰」に訪れており、既にそちらで大展望を堪能した帰りの寄り道であったので、水晶山でも今回ほどには展望の悪さを残念に思わず、続く久米ヶ城址への訪問動機も、周囲の大展望というよりは、先に訪れた水晶山の容姿を間近に望んでみたいというところにあったという点で、今回とは状況が異なっていたようだ。加えて、それらの山行の画像データを、帰宅後に誤消去紛失してしまったことが、当時の山行記憶の薄さに拍車をかけたものらしい。一時は「年齢」のせいで、とうとう老化現象が顕在化してきたかと気になったものだが、当時の記録をひもといてみて、その際の記憶が薄い理由を自分なりに納得でき、多少、安心した次第(!?)。







 2016年最後の山〜小牧山(小牧山城址)
 私にとって、こと「山」に関しては消化不良の年となってしまった2016年も、はや12/31の大晦日を迎えてしまった。私はこの日、たまたま所用で家族と共に愛知県方面に訪れていたが… たまたま小牧市を通過する際、折角だからと「小牧山」に立ち寄っていくことに。
 この山、私には以前から、ずっと気にかかっていた地であった。というのは、名神高速道路を走っていて小牧市にかかる際、いつも南の小山の上によく目立つ天守閣風の建物に目を惹かれており… 実際、そこには中世の山城址(小牧山城址)があるということを、かねて調べて知っていたからであった。もっとも、頂上の建物自体は「小牧市歴史館」になっている模擬天守で、かつての建物を復元したものではないのだが、それでもなお興味深いのは、つい最近、この山の直下からきわめて大規模な石垣の遺構が発掘されたという事実である。この城は、実はかの戦国の風雲児・織田信長が、清洲城の次に居城とした場所であって、在城期間は後に岐阜城に移るまでの、ほんの5年ほどの間に過ぎなかったようだが、やがて安土城を築くことになる織田氏の築城様式のルーツ等を考える上で、近年大いに注目されているらしい。
 しかし、この近辺の人々にとっては、この山は歴史探訪の地というよりも、むしろ格好のウォーキング・トレーニングスポットになっているようで… 実際、快晴の天候とも相俟って、山麓の駐車場から頂上へ向かう間に出逢った地元の人々の数は、大晦日とは思えないほどに多かった。
 駐車場からは、15〜20分程度の軽い登りで頂上着。その直下では今も発掘調査が続けられている途中で、斜面のそこかしこはブルーシートに覆われていたが、露出した石垣の巨石を見るにつけ、さすがは一代の風雲児信長の居城址だと感嘆を禁じ得なかった。頂上からは遠く御嶽山などの姿が望まれたのが意外だったが、さらに驚いたことには、陽だまりで越冬蝶の舞いを目にしたことだった。今年は初雪の到来こそ早かったものの、その後は比較的温暖な気候が続いている上、太平洋側でもあり、元々あまり冬という感じがしない日ではあったが、それでもまさか大晦日に蝶に出逢えるとは思ってもみなかったので… 消化不良の一年だった割には、思いがけず嬉しい締めくくりを迎えられた次第であった。