山行記録帳(2008)D
〜Yamazaki's Photo Diary 2008,D〜


 【山行リスト】
 愛すべき里山〜妻女山に通いづめ Part2  所用のついでに〜長野市・頼朝山
 ドライブ途中に立ち寄り〜妙高市・経塚山  信州最北の山稜〜信越トレイル・三方岳と天水山
 余剰時間に〜篠山散策  偶然山名を見出し訪問〜星糞峠付近の虫倉山
 展望良好の好峰!〜平谷村・高嶺と長者峰  帰りに寄り道〜飯田市・水晶山と久米ケ城址
 雨中の訪問〜早落城址と芥子望主山  またも偶然に好峰発見!〜佐久市根岸の虚空蔵山
 意外な事情で〜平谷村・長者峰に再訪  これまた抜群の大展望!〜阿南町・弁当山
 謎の城郭遺構を発見!〜長和町岩井の880m峰  2008年最後の山〜長野市・金井山


 愛すべき里山〜妻女山に通いづめ Part2
 今年は私自身の「山」における楽しみの志向が、自然観察、とりわけ蝶に強く向いた上、燃料費の異常な高騰等、どうも遠出がしにくい状況にあったことなどから、私の足は近隣の山、中でも行けば確実に蝶に出逢える妻女山周辺に向きがちとなったという旨は、先(7月の終わり頃)にも記した通りであるが… 8月以降も私の同山一帯への訪問は、8/2、13、15、16、23、25、31、9/6、7、と続き、目ぼしい蝶の姿があまり目につかなくなった9/20の訪問をもって、一応のピリオドとなった次第だが、その間、訪れたいずれの機会においても、7月以前と同様、私にとって全く無意味ということなく、相応の成果を得ることができたのは言うまでもない。
 下に掲載紹介したのは、例によってそれら「成果」の一部。当然、これら以外にも数多の蝶の画像をゲットできたところであるが、蝶の種類によっては目撃しながらも残念ながらいまだ撮影に至っていないものもあり… 今からはや来年のシーズンが待ち遠しい今日この頃である。







 所用のついでに〜長野市・頼朝山
 このところ、再三触れた燃料費の高騰はもちろんだが、それにもまして週末にもやたらと所用が多く、なかなか思うように「山」の時間が取れない。9/15もその例にもれず、午前中から午後にかけて家庭の所用でつぶれてしまったが、それが片付いた後のわずかな時間を有効活用すべく、たまたま所用先の近くにあった「頼朝山」に訪問。
 この山、葛山の前衛の小高い円頂で、「山」としては物足りない面もあるが、それでも手っ取り早く眼下に長野市街地の俯瞰を楽しむには格好の場所ゆえ、私も機会を見てはしばしば訪れている所。無論、今回の訪問でも、その素晴らしい眺めを楽しめたのは言うまでもないが、それ以上に意外だったのは、頂上の松の樹上にスミナガシがテリトリーを張って盛んに飛び回っていたこと。この蝶、普段案外目につかないものゆえ、ある程度産地が限られるものかと思っていたが… 案外、身近な里山にいるものなのだと、蝶の生態に素人の私にとってはまた新たな発見となった。こんな具合に、訪れれば訪れたなりに、多かれ少なかれ何らかの「発見」があることが、また「山」の面白いところだ。






 ドライブ途中に立ち寄り〜妙高市・経塚山
 9/27、この日もまた例によって、折角の週末にもかかわらず、午前中に所用あり、午後の中途半端な時間のみ残る。となると、私としてはどこか山で時間の有効活用をしたいところだが、家族同伴だとそうそう毎回「山」という私の希望を押し通すわけにもいかず… 今回はまあ「ドライブ」ということで、たまたま所用先だった中野市から、飯山市経由で新潟県妙高市方面に車を走らせる。
 と… 旧新井市あたりにさしかかったへんで、全く偶然に「経塚山公園」と記された道路標識を発見。私としては当然のごとく「山」という文字に興味をそそられたし、また家族の側(特に子供達)は、そろそろどこかで遊びたいと騒ぎ出したところでもあり、かくて両者の希望が一致。早速、同公園の駐車場に車を駐め、歩いていってみると、「公園」らしく広場や遊具などが適当に配置されている反面、最高点とおぼしき箇所にも特段山名の標識もなく、やはりここは「山」というよりは「公園」なのだと感じた。が、そんな中にも、公園北側には何やら由緒あり気なお堂があり、ここが古くから地元の人々に親しまれている地であることが推測された。(注:帰宅後、インターネット等で調べてみたら、ここが桜の名所として有名な地であることや、公園北側のお堂は「釈迦堂」、またこの地に経塚が存在したことが名の由来であることなどが判明。どんな「山」でも、調べてみると意外な事実や歴史を伴っているもので興味深い。また、桜の季節にでも再訪してみたいものである。)






 信州最北の山稜〜信越トレイル・三方岳と天水山
 10/18、この日は久々に家族で「山」らしい山を歩いてみようということで、今年9月に開通したばかりの「信越トレイル」深坂峠〜三方岳〜天水山のコースに訪問。「信越トレイル」は最近私が最も好む山域の一つであり、中でも今回訪れたコースは、地形図上信州最北端の山稜ということで、長らく憧れていた地であるのだが… これまでは残念ながら三方岳あたりまでしか明瞭な道がなく、そのため私も以前の訪問時には三方岳までで引き返さざるを得なかったという因縁の地でもあり、今年9月の本区間コース開通は、私にとってはまさに待望の朗報であった。
 深坂峠付近のスペースに駐車し、早速新しい「信越トレイル」の標識に導かれて山稜に踏み込む。と、たちまち我々の周囲は一気に別世界に転移したかのごとく、静寂で美しいブナ林に… その中を、一種陶酔したような気分と共に歩き、まずは三方岳の頂上に達して小休止。
 ここから先が、いよいよ私にも未知の山稜。興味津々で歩を進める。と… 気のせいか、山稜の周囲を覆うブナ林は進むにつれてなお一層深く、さらに「天水山」などという名の持つイメージとも相俟ってか、一種神々しい雰囲気の中の山稜歩きをしばし、やがて道が平坦になると、左へ回り気味にわずか進んだへんに天水山の頂上を示す標柱あり。樹林に囲まれた、一見地味な頂上だったが、しかし私にとっては、この数年ずっと憧れ続けてきた念願の頂上。私はその標柱を前に、何か一気に胸のつかえが取れたかのような気分と共に、いつにもまして爽快な汗を拭った。






 余剰時間に〜篠山散策
 10/19、この日は昨日とは一転して、例によって野暮用に追われる日となり、これまた例の如く午後に中途半端な時間が残ったものの、子供達も前日の山で久々に若干長く歩いたせいか、一様に今日は山はいやだと言うので… 私一人で出掛けるハメとなったが、既に陽も短い時季、とどのつまりは、どこか手っ取り早く「山」の雰囲気を味わって来れそうな所で我慢するより仕方がない。
 で… 頭に浮かんだのは「篠山」。この山、私にとっては、初訪問時に猪に突っかけられそうになるという恐怖体験をしたという一種因縁の山であるが、頂上直下まで林道が入っていて、「展望広場」に東屋やベンチなどが整備されている割には存外人気が少なく、しかも晴天下なら展望もそこそこに良いという山ゆえ、今回のような場合の訪問用に、常に我が胸の内に秘めている貴重な山々の中の1峰なのだ。こういう山も、気分的にマンネリに陥らない程度に時折訪れる分には、結構重宝するもの。
 今回の場合、まず頂上を往復した上で、前述の「展望広場」から周辺を見渡してみると、多少霞みがかって今ひとつクリアな眺めとはいかなかったものの、上信国境の山々や、善光寺平の俯瞰などの展望が得られ、短時間ながら「山」の気分は相応に味わうことができた。






 偶然山名を見出し訪問〜星糞峠付近の虫倉山
 10/26、この日は家族ドライブを兼ね、どこか途中で手軽な山でも訪れようと、特に行き先も定めないまま、上田から長門、和田方面に向けて車を走らせていったが… このところ急に寒冷な気候の上、空模様も段々薄暗く、おまけに風も出てきたので、これは今日は山以外の場所で子供達を遊ばせるしかないか… とて、たまたま近くにあった「黒曜石体験ミュージアム」に入る。ここは縄文時代に石器の原料として広く普及した黒曜石の採掘遺跡があるので有名な「星糞峠」の直下にあたり、山はダメでも、せめてその峠くらいは訪れたいものと、何の気なしに案内地図を見ていると、峠のやや東に「虫倉山」という山の表示を見出す。虫倉山といえば、中条村にある信州百名山の1峰のそれがすぐ頭に浮かぶが、他にも同名の山があったのかと、私はまずは少なからず意外な感じにうたれた。が、次の瞬間、その感は一気に同山への強烈な登高欲に変質! 私は、悪いと思いつつも家族を説得して、しばらくミュージアムで待っていてもらい、私単独で可及的速やかに同山に登ってくることにする。
 早速、まずは例の「星糞峠」に駆け上がり、看板に導かれて遺跡範囲に入る。往時の採掘跡の窪みを随所に見つつ、斜面を登りつめ、遺跡最上部から左にトラバース気味に斜上して山稜上に出ると、後はその山稜を忠実にたどって難なく頂上に達した。頂上は南北に異様に広いが、全般的に樹林に覆われ、展望が得られるのは南の縁あたりのみ。もっとも今日は曇天でパッとしなかったが、晴れていれば八ヶ岳方面が良好に望まれそうな一角あり。また北の縁近くには「虫倉嶽大神」の石祠が安置され、この地域の人々の古くからの信仰を示しており興味深かった。







 展望良好の好峰!〜平谷村・高嶺と長者峰
 時の経つのは存外早いもので、今年もふと気がつくと、いつの間にか11月に入り、後わずか2ヶ月となってしまった。そこで、これまでの今年の自身の「山」を振り返ってみると、夏季を中心に、山に登ること自体は二の次で蝶の姿ばかり追い掛け回してきたせいか、3/9の辰野町荒神山を除き、南信の山に訪れていないことが判明。で… せめて多少なりとも、そちらの山に訪れてみよう、というわけで、11/2、平谷村の「高嶺」「長者峰」に家族同伴で訪れてみることにする。これらの山々、私としては以前、平谷村のHPを閲覧している際に偶然案内を見出したもので、以来ずっと心に訪問願望を抱いていながら、距離的な遠さゆえ、これまで機会が得られずにきたもの。期待しつつ長野の自宅を発。
 飯田市から国道153号を「治部坂峠」経由で平谷村へと車を走らせ、「道の駅平谷」の手前数kmのへんで右手に分かれる「高嶺山林道」をぐんぐん上がると、やがて展望施設のある「長者峰」手前の駐車場に達して終点となる。車を駐め、まずは「長者峰」に上がると、間近に恵那山や大川入山、蛇峠山、茶臼山など、また遠くは南アルプス連峰などの眺めが良好。次いで高嶺へは、軽自動車程度なら十分通行可能なほど広い道を20〜30分ほどノンビリ歩くと難なく到着。こちらもまた「長者峰」同様に展望の良い明るい峰で、家族と共に草付きに腰を下ろして憩うのに格好の場所。両峰共に、事前の予想をはるかに超えた良好な雰囲気、私は、今日はるばる出てきた甲斐が十分あったと大いに嬉しく思った。
 (注:本山行については、帰宅後、自身の不注意により撮影画像データを全て消去紛失してしまったため、本項には後日の12/20に改めて長者峰に訪問した際の撮影画像をイメージとして掲載しました。)






 帰りに寄り道〜飯田市・水晶山と城山(久米ケ城址)
 11/2、先に平谷村の高嶺と長者峰に訪問後、まだ若干時間に余裕あり、となると、折角遠方まで来ているので、どこか別な所にも可能な限り「寄り道」していきたいのが人情というもの。そこで、ちょうど帰る途中に容易に立ち寄れそうな「水晶山」を思いつく。この山、その名の通り水晶を産し、頂上に「水晶山公園」があるという。山容は最近一部開通した三遠南信自動車道の飯田山本IC付近から良く見えるので、それを目当てに車を走らせ、登り口の標識に導かれて林道を上がると、難なく頂上に到着。そこには意外にも巨大な花火の筒が据えられており、付近の案内標識を見ると、何でも新年にここから花火を打ち上げるのが「名物」になっているとか。また山名の由来となった水晶は、頂上周辺ではなく山麓の方で産するようだが、一般の採取は禁じられているとのこと。頂上からの展望は想像したほど良くなく、樹間に飯田市街等が望まれる程度。
 なお、水晶山訪問後もまだわずかながら時間があったので、本日最後の「寄り道」に、隣接する城山(「久米ケ城址」)にも立ち寄っていく。ここは「山」としてよりは、むしろサンセットポイントとして有名な地らしく、私も既に何度か訪れたことがある。今回の場合、たまたま先刻訪れた水晶山の山容を改めて望んでみたいと思い、にわかに訪問してみた次第であるが… いざ頂上に到着してみると、展望自体は先刻の水晶山より優れていたものの、皮肉なことに肝心の水晶山の側が樹林に遮られて全くダメ。いささか拍子抜けしたが、ともあれ頂上にある物見櫓に上がってしばし周囲の展望を堪能し、城山稲荷社や松尾多勢子の歌碑などを拝した後、帰途についた。
 (注:本山行については、帰宅後、自身の不注意により撮影画像データを全て消去紛失してしまったため、本項には後日の12/20に両山の近くに訪れた際に撮影した画像をイメージとして掲載しました。)






 雨中の訪問〜早落城址と芥子望主山
 先日、平谷村の高嶺などに訪れた後、しばらく公私共に多忙で、なかなか山に訪れられずにいたが、11/24、久々に家族と共に軽い山でも歩いてみようと家を出た。また最近、私の長男と次男がアマチュア無線の免許を取得し、折角免許を取ったのだから、どこかで交信してみたいという希望を子供達が述べたことから、山歩きのついでに、ちょっと無線の交信も楽しもうという趣向もあった。が… 期待に反して空模様はどんどん暗く、本日の目的地に選定した松本市の「早落城址」の登り口に到着した時には何と大粒の雨。したり、これでは今日は山も無線もダメかと思ったが… それでも子供達は無線をやりたいと言う。それで… 折角来たことでもあるし、それなら私一人が傘をさしてハンディトランシーバー持参で早落城址に登り、子供達は車の中で適当に交信を楽しめばよいかと腹をくくり、多少濡れるのは覚悟の上で歩き出す。
 この城址、近くにある稲倉城の支城として、甲斐の武田信玄の侵攻に対峙したが、あまりに早く落城したので「早落城」と呼ばれるようになったという。確かに山麓の住吉神社から上がっても、さして比高もないので、山城としては決して堅固とは言い難そうだ。その代り、雨中でもさして登るに苦にならず、郭や空堀など、山城址の遺構も相応に見学でき、そして何より子供達との無線も短時間ながら楽しめはした。
 ただ、本郭址を拝んだ後、早々に車に駆け戻ると、子供達はまだもう少し無線をしたいという。それで… 思案の上、近くにある「芥子望主山」についでに駆け上がり、そこでいま少し交信してみることに。当然、天候ゆえに視界は悪く、「山」としてはあまり訪れた意味はなかったが… それでも子供を無線で堪能させる役には立った。もっとも、そのうち雨がみぞれ混じりになったため、それを機に帰途についた。






 またも偶然に好峰発見!〜佐久市根岸の虚空蔵山
 「里山」という言葉に象徴される、一般にあまり知名度のない山に訪れる醍醐味は、時として事前の予想をはるかに超えた好峰を自ら「発見」できるところにある。2008年も年の瀬が近付いた12/13、またしてもそんな山の一つをはからずも見出すことができた。
 その山とは、佐久市の根岸にある「虚空蔵山」。この日は特に目的地を定めず、例によって子供達と無線の交信でも楽しもうなどと考えつつ、どこか適当な山はないかと車を走らせている途中、全く偶然に、路傍に「虚空蔵山」の案内標識を見出したのが事のきっかけ。これも何かの縁、物は試しに訪れてみようと、その場で決意。すぐに標識に従って車を回し、「虚空山多福寺」なる、エンギの良さそうな名の寺の近くに駐車。
 早速、子供達と共にハンディトランシーバーを手にし、まずは登り口の石仏達に頭を垂れると、家族は先行させ、私は山中の写真を撮りつつ、適当に子供達と無線交信しながらノンビリ上を目指す。登り始めてすぐ、弘法大師や不動明王を祀ったお堂のある一角を通過、さらに四国八十八所霊場の石仏を拝しながら登っていくと、そのうち物見櫓が据えられ展望の良い頂上に到着。現地案内板によれば、ここは戦国時代に狼煙台のあった所だそうで、確かに頂上の一角には土塁が見られる。また山名の由来は、西行法師が善光寺参拝後に布引から御牧野に至り、仏の夢のお告げにより所持していた虚空蔵菩薩像をこの山に安置したことによるとのこと。さらに特筆すべきは頂上からの展望で、殊に佐久平を隔てて望む浅間山の雄姿が最高! かくて、またしても思いがけず歴史性豊かで展望良好の好峰を見出した次第。全く、これだから「里山巡り」は面白い。







 意外な事情で〜平谷村・長者峰に再訪
 12/20、良く晴れた一日、たまたま私にとって妙な事情が生じたことから、去る11/2に訪れたばかりの平谷村・長者峰に再訪。
 その事情とは… 先に長者峰や高嶺に訪れた後、帰宅してデジカメの画像を整理しようとしたところが、不注意から、何と画像データを全て消去してしまったことである。それも、いつもなら、また撮ればいいやで済ませてしまうところ… 生憎、長者峰からの展望が非常に優れていたため、是非、撮り直したいとの願望が私の中に高まった。で… 別の山に訪れるついでに、ちょっと長者峰に寄り道することにした次第。
 と… 期待の展望は、何と前回訪問時よりもクリアときており、実に嬉しい誤算。これは来た甲斐があったと思いつつ、頂上に駆け上がると、親子連れらしい先客2人あり、そのうち親の方が、いきなり「いや、眺めがいいですね!」と話しかけてきた。私も「そうですね」と応じ、しばし談笑。相手の話によれば、彼は愛知県在住で、何でも若い頃はバイクを趣味にしておられ、南アルプス近辺などをよく走り回られたものなのだそうだが、ある時足を負傷され、以来、車で上部まで上がれるような軽い山ばかり訪れておられるとのこと。また、この長者峰は彼には既に8度目の訪問になるそうだが、今日ほど晴れたのは初めてなのだとか! しからば、それほどの展望に、私は「画像撮り直し」のための寄り道などという、陳腐な目的での訪問で、それもわずか2度目の訪問にして遭遇できたわけだ! 私は素直に我が身の幸運を喜びつつ、今や「寄り道」のレベルを超えた時間をじっくりとかけながら、南アルプスをはじめとした周囲の眺めを丁寧にデジカメ画像に収めていった。







 これまた抜群の大展望!〜阿南町・弁当山
 長者峰で、当初「寄り道」程度のつもりのところ、あまりの展望の良さについつい長居してしまい… その結果として、この日(12/20)は他の山への訪問が時間的に厳しくなってしまった。しかし、折角信州も北の長野からはるばる出てきたのだし、せめて後1箇所くらい、どこか手っ取り早く訪問できる所はないか… とにわかに検討の結果、ここ(長者峰)からさほど遠くない位置にある、阿南町の「弁当山」を思いつく。この山、私も以前から山名だけは知っており、頂上近くまで林道が通じているとも聞いていたが、これまで案外訪問の機会がなかった。
 そこで、とにかく阿南町へと車を走らせ、「弁当山公園」の標識を頼りに細い林道に入り、薄暗い林中をいささか心細い気分と共に高度を上げていくと、そのうち雰囲気が次第に明るくなり、最後に大型の展望台の鼻先に達して車道終点。いかにも「公園」らしく、実際ほとんど頂上まで車で上がれてしまい、少なからず拍子抜けしたが、おかげで家族にはあまり苦労をかけずに済んだ次第。そして、とにかく展望台に登って周囲を見回してみて… 驚いた。何と、先刻の長者峰に劣らぬ、いやむしろそれ以上の大展望! 南アルプス、中央アルプス、御嶽山、八尺山、蛇峠山、茶臼山… にわか選定の山にして、かくも良き山に当たるとは! 全く、今日という日の巡り合わせは、私にとって徹頭徹尾、運が良いとしか言いようがなかった。あるいはこれは、先にデジカメの画像データを消去紛失するなどという災難に遭ったので、それに対して我が「運」が逆に釣合いを取る方向に働いたがゆえの結果であろうか… などということすら考えつつ、私は、眼前に展開された素晴らしい眺めを、時間が許す限り堪能した。







 謎の城郭遺構を発見!〜長和町岩井の880m峰
 12/29の午後、私は、長和町落合から岩井あたりに延びる名もなき山稜を、試しに歩いてみることにする。この山稜、落合あたりから見ると結構ピラミダルで、以前から少々気になっていたところ。早速、その落合あたりに車を走らせ、たまたま付近にいたお婆さんに山名や登り口を尋ねると、山名は知らないが、すぐ先の松の老樹の切株がある所の道を隔てた反対側の石段から登るのだと教えてくれ、また車は自分の地所に駐めていけばいいとのこと。有難い申し出ゆえ素直に御好意に甘えさせていただき、丁重に御礼を申し上げて登り出す。
 登り出すとすぐ、お稲荷様を祀った祠があり、さらにその上部に発電所の貯水槽施設あり。その左手の、薄く雪のかかった山稜をしばし急登し、やがて道が平坦になると、その少し先で、空堀や土塁、郭など、山城址の遺構とおぼしきものが出現。特に郭らしき平地は結構な広さがあり、山上とはいえ、相当な城館施設を設けることが可能であったろうと想像されるほど。さらにしばらく山稜を進み、何条もの空堀を突っ切り、最後にかなり急峻な切岸を乗り越え、今度は本郭址とおぼしき地に到達。そこは地形図上880m等高線のある峰で、それより先にも山稜は続いていたが、午後で時間的余裕もさほどなく、今日のところはこれで引き返す。
 なお、特に事前知識もないまま訪れたため、帰宅後に何という名の城の址か知りたく思い、各種文献を調べてみたが… なぜか長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』や『長野縣町村誌 東信篇』等には一切記述がない(?)。これほどの規模の山城址なら、記事皆無のはずはないと思うのだが… 現時点でこの山城址は、私にとって「謎」の城郭遺構のままだ。引き続き調査せねばなるまい。
 (追伸:その後、この山城址のことは、是非とも「謎解き」をしたく、ずっと心にひっかかっていたものだが… 1年以上も経過した頃、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第3集 改訂上田小県資料編』(非売品/長野日報社刊)を参照したことによって、ようやく詳細が判明した。同書によれば、この城址の呼称は「中山城」で、地元伝承等によれば武田氏由来の城という。麓の「落合」はその名のごとく、大門峠、雨境峠、和田峠、扉峠など峠越えの道が合流する交通の要衝で、戦略上の重要拠点にあたり、また往時は甲斐の武田氏も大門峠を盛んに通行していた様子がうかがえることなどから、相応の任務を帯びて管理されていた砦であろうとのことだった。また、この城の別称は「城山」「中山ごや」とのことなので、山名は「城山」として差し支えなさそうだ。かくて山城址の呼称のみならず、山名も併せて判明し、ようやくにして胸のつかえが下りた次第。それにしても先の宮坂氏の『図解 山城探訪』シリーズは、県下の山城址を研究する上でなくてはならない素晴らしい資料で、その膨大な宮坂先生の仕事には、心底敬服の念を禁じ得ない。残念ながら非売品で、参照するには図書館等に足を運ぶしかないのがネックであるが… 私としては、その現物を目にする度に、以前三重県松阪市の『本居宣長記念館』で、宣長が『古事記伝』を著す過程で残した膨大な研究資料を閲覧した際に感じたのと同じ位の感動をすらおぼえるものである。)







 2008年最後の山〜長野市・金井山
 いよいよ2008年も残りわずかとなった12/30、私は、今年1年の山の締めくくりとして、長野市内にある里山の金井山に訪問。もっとも訪問のきっかけは、きわめて偶然で… どこでもいいから今年最後の山を… とて自宅を出て、適当に車を走らせている途中、松代手前のへんで、たまたま左手に午後の陽光に映えている金井山の特徴ある崖が目につき、瞬間、ここでいい! と決めてしまった次第。また、自宅に待機している息子と、アマチュア無線で交信しながら登ってみようという、ちょっと変わった趣向もあった。
 然るに、いざ訪れてみたら、今回は私にとって意外な「発見」のある山歩きになってしまった。すなわち、私もこの山は初めてではなく、2005年の2月にも一度訪れているのだが… その際に私が一応頂上とみなした場所よりも、さらに先に進んだところに、真にこの山の頂上とすべき場所を見出したのだ。というのは、この山の頂上部は北西から南東にかけて約300mほどの平坦な山稜上にあたり、その間「頂上」と称しておかしくない箇所はいくつもあるので、数年前の訪問時は頂上部の最南端までは歩かずに引き返してしまったのだが… 今回初めて深い空堀に隔てられた先の最南端の地点まで歩いてみて、何とそこに、かなり明瞭な石積の遺構が残されているのを見出し、大いに驚かされたのである。それはまさに、金井山城址の核心部ともいうべき規模を有していたので、帰宅後に『定本 北信濃の城』(郷土出版社刊)を参照したところ、実際そこが金井山城の本郭址のようだった。いかに身近な里山といえど、うっかりするとこんな見落としもあるもの。年末に際し、改めて心させられた次第であった。