城山(じょうやま/城山(見晴台))
〜旧中山道碓氷峠付近にある狼煙台址〜標高1,220m〜
旧中山道碓氷峠付近にある、戦国時代の山城址の山。長野・群馬両県境上にあり、頂上からの浅間山や妙義連峰などの眺めの素晴らしさから一般には「見晴台」と称される。峠から徒歩ほんの10分程度という手軽さや、また前述の優れた展望もあって、古くから観光開発されてきた地でもあり、現地案内板によれば、大正7年に名古屋市の近藤友右衛門氏が独力で遊覧歩道や各種観光施設を設け、後にこれを軽井沢町に寄付したとのこと。そのため頂上には近藤翁を頌徳した鈴木大拙の筆になる「山深水寒」の碑や、また長野・群馬両県境を示す石標列中には「近藤」銘のある石標が見られる。また、インドの詩聖タゴールの記念像や万葉歌碑などもあり、今や「山」というよりは観光スポットの感がある。
しかし、その頂からの眺めの良さや、また碓氷峠が往古より交通の要衝であったこととも相俟ってか、戦国時代にはここに例によって山城址が設けられていたという(注:主に狼煙台としての機能を有していたらしい)。ちなみに先の『長野縣町村誌 東信篇』には「蓋し古昔戰國に際し、烽火陣營等の設けありて、非常の虞に備ふる所なるべし。相傳ふ正平年間、笛吹神官、滋野八郎一族三十六人を率ひ、官軍に屬し、當山に戰ふ云々 後太平記三十一卷に見ゆ 右滋野八郎其際該所に據りたりと。里老の口碑に存す。」とある。
さて、ここに訪れる場合、ぜひとも碓氷峠の茶屋で名物峠の「力餅」で一休みしたり、また日本武尊が弟橘比売命を偲び「吾妻はや」と嘆かれた地とされる「熊野神社」にもセットで立ち寄り、しばし往古の昔に想いをはせつつ憩いの刻を過ごしていきたいもの。特に熊野神社には素朴な造形の狛犬や、地元民謡の追分節に「碓氷峠のあの風車たれを待つやらくるくると」とうたわれ有名となった石造の風車一対、長野県天然記念物のシナノキの巨木、県重要文化財の古鐘など、見物が多いので必訪もの。なお、このあたり一帯が長野県歌『信濃の国』の歌詞6番にもうたわれている「碓氷山」と呼ばれているところであるのだが、「山」といっても実態は「峠」なので、昔の人の感覚が必ずしも山=峰(ピーク)ではなかったことが知れる。現代人の感覚では位置的にむしろ城山こそ「碓氷山」の頂上と思ってしまいたくなりそうだが、先の『長野縣町村誌 東信篇』では「碓氷山」と「城山」とは明らかに別扱いとして記載されていることもあり、本項でもそれに従った次第。
なお、城名については『長野縣町村誌 東信篇』中「峠町」の「古跡」の項や、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』には「城山」の名そのままで城郭扱いとして記載されているが、山名と城名が全く同じというのも何か妙な気がするので、本項では当初『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の城館名一覧表の備考欄の記載「別称―長倉城」により、「長倉城」として紹介していた。しかしその後、郷土出版社刊『定本 佐久の城』や、2012年に発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第1巻 佐久編』(戎光祥出版刊)等を参照したところ、「長倉城」の別称は紹介されておらず、やはり一般的な呼称ではないと思われたので、宮坂氏の著書に従い「城山(見晴台)」に改めた。
← 碓氷峠付近の城山頂上(中央の標柱の右が群馬県、左が長野県)
(峠町にある「見晴台」の表示のある地点が城山です。)