鳥屋山(とややま/鳥屋城址)
〜実に異名の多い山城址のある端整な峰〜標高851m〜
上田市(旧丸子町と旧武石村との境)にある、戦国時代の山城址(鳥屋城址)の山。旧丸子町側から旧武石村側に向けて国道152号線を走ってゆくと、「小屋坂トンネル」の分岐があるあたりで前方に望まれる端整な山がそれ。その特徴的な山容ゆえに、山城址は別称「烏帽子城」とか「烏帽子形城」とも呼ばれるが、この山城址、実は他にも異名がきわめて多く、確認できたものだけでも「依田城」「大年寺山城」「首切城」といった具合(注:何故「首切」なのか、本文記述時点では詳細不明だが…)、この点特筆すべき存在といえようが、ここでは長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の呼称に従い「鳥屋城」で紹介することにする。
この山城址に登るには、前述のとおり国道152号線を行き、「小屋坂トンネル」への分岐で折れ、同トンネルを抜けた所のすぐ左手にある駐車スペースから取り付くのが最も判りやすかろう。付近には特に標識も明瞭な道も見当たらないが、まずはとにかく林内を頭上に見える峠を目安に上がると、じき山林作業道に突き当たるので、それ伝いにわずか歩いて峠付近まで行けば、後は尾根通しに比較的明瞭な踏跡がある。この付近にいくつか目につく平地は、往時の根小屋址か? ルートは頂上まで単純に尾根通しなので、まず迷うことはあるまいが、下山時には尾根の中程で依田川側に急角度で落ちている枝尾根に入らぬよう、一応注意しておいた方がよかろう。途中、樹間に浅間山や蓼科山などの眺めを楽しみつつ行くと、やがて城址の遺構範囲に入る。明瞭に残る数段の郭と堀切を乗り越え、最後にひときわ高い本郭直下の切岸を登り切ると頂上。筆者の訪問時点では特に標識類や城址の説明板もなく、ただ三角点標石と文字の風化しかけた石碑が出迎えてくれた、素朴な雰囲気の頂上だ。
以上、「小屋坂トンネル」付近の登り口から頂上までの所要時間は、条件にもよるだろうが、約1時間程度もみておけばよかろう。なお、あまり人が登らないとみえて、道には落葉が厚く降り敷いている箇所があるので、上部の急傾斜では下山時のスリップに注意されたい。
なお、この山城址の「山名」についてであるが… 城名がかくも異名が多いにもかかわらず、こと山名となると、地形図上には何の表示もなく、おまけに地元の人に尋ねても、はっきりした答えが返ってこず(注:単純に「城山」とか、あるいは山容からして「烏帽子山」とでも言うものかと予測していたが、どうもそうでもないらしい)、苦し紛れに『長野縣町村誌』 の東信篇を参照してみたところ、2つばかり、それらしき記事を見出した。すなわち「東内村」の古跡の項には「大年寺山城址」として「和子組巳の方二十五町、大年寺山にあり。」とあるのが一つ、また「鳥屋村」の古跡の項に「依田城址」として「村の北方沖村、腰越村、東内村の地境、鳥屋入山の頂にあり。」とあるのがもう一つ。そこで当初は、付近の地名から確実に裏付けが取れた「大年寺山」で紹介したのであるが、その後、新人物往来社刊『日本城郭大系 8 長野・山梨』の「その他の城郭一覧」や、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第3集 改訂上田小県資料編』(長野日報社刊)に「鳥屋山砦」なる山城址が掲載されているのを見出し(注:鳥屋城の支城とされる山城址の名称ではあるが、同じ山の南西に派生する稜線上にあり、同所には「石尊山」の呼称もある模様。なお、鳥屋城と同じ城として扱われたのか、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』には掲載されていない。)… これだと先の『長野縣町村誌 東信篇』の「鳥屋村」の古跡の項に見える「鳥屋入山」の名称と「入」の一文字が異なる点で気にはなるものの、山城址の名称と整合が取れてよいと思われたことにより、この際「鳥屋山」に改めることにした。今後、さらに情報収集に努め、より強く裏付けを得たいと思っている。
← 鳥屋城址の峰(鳥屋山)を望む(鳥羽山方面より)
(「小屋坂トンネル」の南西の850.5m三角点ピークが、本項で紹介する鳥屋山です。)