殿城山(とのしろやま/殿城山城址)
 〜烏帽子岳南西尾根上の寄生火山〜標高1,193m〜
 別掲の烏帽子岳から南西に派生する尾根上に位置する、トロイデ状の寄生火山。上信越道の上田菅平ICあたりから東を見ると、頂上にマイクロウェーブの反射板がある円頂の山がそれ。山名からは山城址を連想するが、実際はどうだったか? 特に顕著な遺構は目につかなかったが… 長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』によれば、ここは実際にれっきとした戦国時代の山城址(殿城山城址)であり、天文19年(1550年)2月に甲斐の武田氏が村上義清の要害戸石城を攻撃した際の本陣と伝えられているという。
 マイクロウェーブの反射板がある位だから、マイナーでもちゃんと道のある山かと思いきや、いざ実際に訪れてみたら、確かに「道」はあるが、どうも茸採りの道や獣道が入り乱れているものらしく、当然、一般的な登山口めいたものは見当たらない。それで、筆者の場合は、とりあえず北の旧真田町(現:上田市)側から車を走らせ、アプローチに適当そうな林道をいくつか物色した末、最終的に南西山麓の岩清水集落あたりから結構ダートな林道に乗り入れ、上り切ってから少し下って左に大きくカーブする地点の踏み跡から登った。それも、いきなりブロック状の火山岩が堆積するガレ場の突破を余儀なくされ、そこを過ぎたら今度は鬱陶しい薮の連続という、いかにもほとんど訪れる人もなさそうな状況の中の登行。そんな中に続く踏み跡は、前述の通り獣道と区別がつかぬ程度に薄く、結局は適当に登り易そうな方向を選びつつ、ただひたすら上を目指して登り続けるより他に手はなし。もっとも、頂上付近では必ず例のマイクロウェーブ反射板が目につくので、少なくとも頂上を誤認することはない。三角点標石は、反射板の裏手の樹林の中にひっそりと埋設されている。周囲は樹林に囲まれ展望は望むべくもないが、その分静寂で原始色濃い頂上。
 そんな山なので、全く同経路の往復は困難だろうが、西側中腹には林道が通じており、帰りは例によって進みやすい所を選びつつ、とにかく西に下りさえすれば、そのうち必ず林道に下り立てるので、迷う心配はない。なお、筆者の場合、往復に約3時間弱を要した。

 ← 殿城山を望む(西側山麓の赤坂集落付近より)

【緯度】362503 【経度】1382009
(明瞭な道はありませんので、後はルートの選択次第です。)