三峰山(みつみねやま/志賀城址)
 〜壮絶な実戦歴を有する山城址の山〜標高877m〜
 佐久市志賀にある戦国時代の山城址(志賀城址)の山。この山、標高的には平凡な山ながら、頂上の周囲には屏風のごとき断崖絶壁を巡らしており、往時の要害ぶりが偲ばれるが、実際、この城址には歴史上壮絶な実戦の記録があり、甲斐の武田信玄の侵略に城主笠原清繁以下が敢然立ち向い奮戦の末、衆寡敵せず落城したと伝えられている。それも、志賀城の急を聞いて駆けつけた上州上杉氏の援軍が武田の逆襲に遭い敗走し、武田方では勝ち戦であげた上杉方の首級をわざわざ城下に槍の穂先に突き刺して立ち並べ、城兵の士気をそいだとか、また落城後に捕虜となった婦女子は全員甲斐に送られ売り飛ばされたとか、実に聞くに堪えない話まで伴っており… そのせいなのかどうか、登り口の「雲興寺」(注:志賀城主の笠原清繁の創建という寺)の付近まで行っても、筆者の訪問時点では城址への案内標識の類は一切見当たらず。
 もっとも、登路はちゃんとあり、寺の右手に上がっているコンクリート道に入ると、すぐに左に分かれる木階段の道が登り口なのだが、この道、一見すると単に寺の裏手の墓地への道に見えるので、見逃さぬよう注意が必要。ちなみに、コンクリート道をそのまま進んでも、その終点より先に踏跡は続いているが、これはどうもロッククライミングをやる者が利用する道らしく、最終的には断崖絶壁の直下に引き込まれてしまうので、相応の覚悟がなければやめた方がいいだろう。ともあれ、先の木階段から始まる登路さえうまくつかまえれば、件の断崖絶壁は左から巻いて難なく稜線上に出られるので、後は次々と現れる明瞭な郭や石積の遺構を見学しつつ、登り口からほんの30〜40分で頂上の本郭址に達することができる。そこは往時の名残の矢竹が生い茂り、三角点標石が埋設されているのと石祠が一つ祀られているのを除いては、樹林に囲まれて至極静寂な雰囲気の場所。
 なお、山名については『長野縣町村誌 東信篇』中「志賀村」の「志賀城墟」の項には「本村の卯の方字地ヶ入の内
笠原山にあり。」とあり、同じく「山」の項にも同名の山名で掲載されているが、麓の「雲興寺」の住職さん等のお話によれば、頂上の石祠は三峰神社の祠であるといい、またそれゆえ城址のある山の名も地元では「三峰山(みつみねやま)」と呼ばれているとのことだったので、本項では当面それを尊重し「三峰山」として山名を表記することにした。(なお、後日何らかの事情により考えが変わった場合は訂正するかも知れないので、その場合は御了承願いたい。)

 ← 志賀城址を望む(三峰山麓の「雲興寺」前より)

【緯度】361510 【経度】1383150