大遠火(おおとや/大遠火)・遠見(とおみ/遠見)
〜顕著な山々ながら地元でもほとんど無名〜標高1,303m(向山)・1,265m(笹目木山)〜
別掲の城山(海ノ口城址)の西にある、一見目立たないようながら、ちょっと気になる山々。両山とも見る方向によって結構端正な姿を見せてくれること、頂上に無線施設が建っており車道が通じていること、然るに国土地理院の地形図上には山名の表示がないこと、さらに茸山らしく季節によって入山禁止であるらしいことなど、共通点が多い山々だが、標高の高い1,303.4m峰に三角点があり、一方の1,265m峰は標高点である。
筆者の場合、海ノ口城址に訪問した際に、初めてこれらの山々(注:正確には1,303m峰の方)の存在を認識した。そして、これだけ顕著な山々ならば、いかに地形図上に山名の表示がなくとも、地元に何らかの呼称がないはずはないと思われたので、これらの山々への訪問後、例によって、こんな場合の県内調査バイブル『長野縣町村誌』の東信篇をひもといてみると、次のような記述を見出せた。
まずは「海ノ口村」の「山」の項。その中に「笠目木山」として、「高さ九十丈、周囘諸山連接し測りがたし、全山本村に屬す。本村および海尻村薪入會場なり。山脈東は城山に連り、西は海尻村向山に接す。登路一條、村の北の方笠目木より上る。高さ五町、嶮路なり。」とある。
また、同じく「山」の項中「城山」の記述中には「西は笹目木山に接す。」とある。
次に「海尻村」の「疆域」の項を見ると、「東は大戸谷山 一名向山と云ふ の嶺上を以て小海村と界し〜」とある。
以上の記述から、まず問題なのは、「笠目木山」「笹目木山」と、よく似た呼称の山名が出てくるが、これらは前後の記述内容から同一の山であることは間違いない(つまり、いずれかが誤植である)。では「笠」と「笹」のいずれが正しいかであるが、これについては、同じ『長野縣町村誌』の「海ノ口村」の「字地」の項中に「笹目」という字はあるが「笠目」ないし「笠目木」という字は見当たらないこと、また長野県南佐久郡南牧村誌刊行会編『南牧村誌』第一編「自然編」第二節「村の地理」中「五 南牧村の地名」によれば、大字海の口の小字名に「笹目木(さざめき)」というのがあることから、「笹」の方が正しいと確認できた。
次の問題は、これらの山々の呼称が、1,303m三角点峰及び1,265m標高点峰の両方若しくはいずれかに該当するかどうかであるが、『長野縣町村誌』と『南牧村誌』の記述内容を参照して推定する限り、1,303m三角点峰が「向山=大戸谷山」、1,265m標高点峰が「笹目木山」に該当するように思えたことから、念のため南牧村役場に問い合わせ、少なくとも1,303m三角点峰の方は現在でも地元俗称で「向山(むかいやま)」と言われていることを確認した上で、本項では当初、1,303m三角点峰は現在の地元俗称を尊重して「向山」、1,265m標高点峰の方は『長野縣町村誌』等の記述のみに従い「笹目木山」の名で紹介した。然るに、実際のところ、1,265m標高点峰の方の呼称は役場の方にも不明のようであったし、1,303m三角点峰の方さえも、地元でも今や山名を知る人の方が少ない模様であったこと(注:実際、筆者が訪問時に会った地元の人も「さあ… 特に名もない山ですよ」と言っていた。)、おまけに『長野縣町村誌 東信篇』(注:当初紹介時点において筆者の手元の唯一の文献資料であった。)の記述についても、上述の「山脈東は城山に連り、西は海尻村向山に接す。」とある点について、実際の地形図に照らし合わせれば、1,265m標高点峰を「笹目木山」とした場合、海尻村向山に接するのは、「西」というよりは「北」ではないかとの疑念を禁じ得ないこと、等により、本当にそれで正しいのかどうか、どうも確信を得るに至らず、ずっと気にかかっていた。
ところが、その後入手した、郷土出版社刊『定本 佐久の城』の「海の口城」の項を参照したところ、「(前略)〜(海の口城の)西方で尾根を上ると標高1,265メートルの遠見に達する。ここは遠望のきく最適の烽火台で、急峻な西側斜面の末を千曲川が洗う。」という記述を見出した。この文中「遠見」なる地点こそ、筆者が山名に確信を得られずにきた1,265m標高点峰と、標高、地理的条件ともに合致する。さらに、2012年に発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第1巻 佐久編』(戎光祥出版刊)においては、1,265m標高点峰が確かに「遠見」と呼ばれており、物見に使用されたと思われる旨、及びその北にある1,303m三角点峰は「大遠火(おおとや)」と呼称されており、字からすると狼煙台である旨の記述があると共に、同書所載の地形図上の表示により、いずれも本項において紹介している山々と同一地点であることをも確認することができた。(注:地元俗称「向山」の1,303m三角点峰には、上述の通り「大戸谷山」の呼称もある模様であり、これを素直に読むと「おおとややま」で、「大遠火(おおとや)」と読み方が合致する。)
以上の事実が判明したことを機に、1,303m三角点峰を「向山」から「大遠火」、1,265m標高点峰を「笹目木山」から「遠見」の名称に、それぞれ改め、紹介することとするとともに、併せて両峰とも中世の城館址としても取り扱うことにした経過があることを付記しておきたい。(注:特に前者については、地元で「向山」と呼称されていることの確認は取れていたため、改めるかどうか若干迷ったが、「向山」とはあくまで地元俗称であることや、またこの呼称からして、単に「自分達の向かいに立ちはだかる山」といったイメージで、それ以上の特別な意味はなさそうに思われたことから、『長野縣町村誌 東信篇』の「大戸谷山」と読み方が通じる「大遠火」に、この際あえて改めることとした次第である。なにとぞ御了承をお願いしたい。)
さて、前置きが大分長くなったが、これらの山々に登るには、北の小海町の「小海高原ゴルフコース」側からアプローチするのが最も楽だろう。ゴルフ場まで上がったら、後は地形図を見ながら目的の山を目指して車を走らせればよいのだが、ただゴルフ場近辺は別荘地になっていて、紛らわしい道が錯綜しているので、初めて訪問する場合は散々迷うかも知れない。実際、筆者の訪問時も延々2時間ほど迷った挙句、途中で偶然会った地元の人に道を聞いて、ようやく頂上に達することができた次第。また、車道は一応頂上まで上がっているとはいえ、かなりダートな道ゆえ、高級車とかFF車ではキツいだろう。さらにこの車道、両山頂上直下の鞍部など何箇所かにゲートがあるので、もしゲートが閉じていたらアウト。それゆえ確実に登るには、東の海ノ口城址への登り道をたどり、城址のすぐ西の峠に出たら、そこから城址とは逆に西へ稜線をたどれば、ほんの600mほどで「遠見」=1,265m峰に達し、さらにアップダウンで林道歩き1km強を経て「大遠火」=1,303m峰に至ることができるだろう。ちなみに「遠見」=1,265m峰には「NTTDoCoMo南牧無線中継所」があり、「大遠火」=1,303m峰には「小海FM中継放送所」「南牧テレビ中継放送所」がある。両峰とも、特に山城址らしい遺構は見当たらない。
なお、これら両山とも前述の通り茸山のようで、季節によっては入山禁止らしく、筆者も偶然地元の人に会って「内諾」を頂いたおかげで訪問できたようなものだった。それゆえ、本文を目にして実際にここを訪れてみようという向きには、訪問時季はくれぐれも秋の茸シーズンは避け、冬季から春季にかけての間にされたい。わざわざ秋に訪れて地元の人達とトラブルになっても、筆者としては一切責任は持てない。
← 「大遠火」=1,303m峰を望む(「遠見」=1,265m峰側、海ノ口城址寄りの山稜上より)
(海尻駅の東の1,303.4m三角点峰が「大遠火」、その南東の1,265m標高点峰が「遠見」です。)