大久保山(おおくぼやま/1,108m峰)・1,100m峰
〜「山」として雰囲気一級ながら意外な静けさ〜標高1,108m(大久保山)・1,100m(1,100m峰)〜
佐久市と佐久穂町との境界上にある、知る人ぞ知る好峰群。山腹の谷筋はカタクリの群生地があることで知られているとともに、岩峰で三角点のある標高1,108mの頂上からは眼下に佐久市や小海町方面、またその背景をなす上信国境の山々や八ヶ岳連峰などの眺めが素晴らしく、さらに頂上の一角には木花開耶姫命とおぼしき石像を祀った素朴な石祠があるなど、標高的には平凡ながら「山」としての風格十分、筆者など大いに推奨したい山なのだが… その割には国土地理院の地形図上に山名の表示がないばかりか、筆者が実際に尋ねてみた限りでは、地元の人ですらこの山の名を知るものもなく、外部者たる筆者の評価と、地元の評価とのギャップのあまりの大きさに、いささか驚かざるを得ないのだ。
この山の名についての手掛かりは、本文記述時点で筆者の手元に二つしか資料がなく… 一つは地元佐久穂町商工会のホームページで紹介していたコース案内中にあった「富士腰パノラマ台(大久保山)」というもの、もう一つは『長野縣町村誌 東信篇』中「平林村」の「山」の項にある「富士腰山」というものである。一応御参考までに『長野縣町村誌』中の記述を次に抜粋紹介してみよう。
「高さ六町、周囘諸山に接して測り難し。嶺上にて境し、東北は入澤村に屬し、南は餘地村に屬し、西は本村に屬す。山脈東南は餘地村日向山に接し、北は入澤村の山に接續す。登路一條村の東の方石橋より登る。高さ十五町餘、嶮なり。溪水一條、字富士腰より出て、西流して曾原川となる。樹木は松及雜小木を生ず。」
この記述内容と、現在の国土地理院の地形図とを照らし合わせて検討する限り、この山の本来の名は「富士腰山」ということになるのではないかと思われる。実際、佐久穂町商工会のホームページでも「富士腰パノラマ台」としているくらいだからである。しかし、残念なことには、筆者が地元の役場や商工会、さらには現地で出会った人に問い合わせたりして調査した限りでは、どうもその裏付けが取れない。また一方の「大久保山」という呼称については、『長野縣町村誌』中「平林村」や「入澤村」の字地の項に「大久保」という地名自体が確認できないので、これまたその裏付けが取れていない。ただ、「入澤村」の字地の中に「大窪」というのがあり、これがあるいは該当するのか… これまた残念ながら、筆者のごとき素人には、何とも判断をつけ難い。
いずれにせよ、そんな状況なので、当面本項で紹介する山名としては、一応地元呼称に従っておくべきであろうが、「富士腰パノラマ台」は『長野縣町村誌』の記述と一部合致するものの、観光PR色が少なからず強いようで山名としては若干抵抗があるので、ここではとりあえず「大久保山」の名で紹介することとした次第。無論、今後も引き続き調査し、新事実が判明して必要が生じた場合には、適宜修正したいと思う。
さて、これらの山に登るには、「曽原の湯」の脇から上がっている林道をたどるのが最も判り易いだろう。アプローチは佐久市から国道141号線を南下し、佐久穂町に入ってほどなく千曲川を「栄橋」で対岸の右岸側に渡り、「羽黒山」の南麓を巻くように延びる車道を東へたどって「曽原の湯」へ。その左手に延びている林道のゲートの脇に、カタクリの花が描かれた道標があり、以後何度かこの図柄の道標を見ることになるだろう。ゲートからは徒歩でしばし進むと、途中で林道が二手に分かれるポイントに出る。カタクリの花の道標は左を指しており、もちろんそちらからも登れるが、山慣れない向きには右に林道をたどった方が判り易いだろう(注:ただし若干遠回りにはなるが)。
ここではカタクリの花の道標に従い進む。少し行くと林道は尽き、木橋を渡って作業道のような道を行くようになるが、そのうちカタクリが鹿の食害にあわないよう設置されたネットがあって、ロープを外してすり抜ける。そこから先が例のカタクリ群生地なのであろうが、筆者が訪れたのは何と1月半ば過ぎの雪の中で、せいぜいシーズンに咲き誇るカタクリの美しさを想像できた程度。ともあれ、さらに進むと、また道が左右二手に分かれて、左はすぐに終わるが、右は今しばらく登って、最後に木のベンチに達して終わる。どちらを採っても登ることはできようが、筆者の場合は右のルートを採った。カタクリの観察道が尽きた所で、例の鹿防護ネットを今度は這ってすり抜け、さらに伐採地の倒木を乗り越えつつ、すぐ上方に見える峠まで上がると、そこで先に右に分岐した林道と出会う。道はここから左(北)へ稜線をたどり、ほんの200mほども登るとピークに達する。そこは地形図上1,100mの等高線がある峰で、標高点ですらないので一見地味ながら、頂上のすぐ脇にある露岩上の高度感は満点で、眼前には茂来山が大きく迫るなど、見逃し難い雰囲気良好の場所。もっとも例によって山名不詳のピークゆえ、ここでは当面「1,100m峰」と呼称しておく以外あるまい。(注:なお、先に掲載した『長野縣町村誌』の抜粋文中「山脈東南は餘地村日向山に接し」とあるのが、一応位置的には合致するように見えるのであるが… これまたどうも裏付けが取れないのが残念。佐久の山にはこういうケースが多いようだが、そのことは案外、この地方の山の多くが「茸山」であることとも関係しているかも知れない。この点、後述するが、この地方の山への訪問時に十分留意すべきことであろう。)
目指す「大久保山」へは、1,100mピークから、さらに300mほど北に稜線をたどれば難なく達する。そこには前述の通り木花開耶姫命を祀っているとおぼしき素朴な石祠と三角点があり、また「富士腰パノラマ台」の別称に相応しい周囲の大展望は、「山」の頂上の雰囲気として第一級の部類ではなかろうか。然るに筆者訪問時には山名標識の類など一つもないあたり、まさに「知る人ぞ知る」山といった感が強く… 寂峰趣味の「山登り」にとっては秘蔵の、実に珠玉のごとき山のひとつといえよう。
以上、駐車場所からの所要時間は、帰途はカタクリ群生地上の峠から林道をたどって戻るとした場合、往復約3時間程度みておけばよいだろう。ちなみに、峠から林道を少し戻った脇に小岩峰(地形図上1,070m等高線の峰)があり、木階段も付けられているので、時間が許せば帰りにちょっと立ち寄ってみるとよい。上部で多少岩場もあるが大して危険はないし、頂上に立てば岩峰だけに、これまた展望が素晴らしく、殊に先刻登った大久保山から1,100m峰にかけての山稜が一望できるのが嬉しい。
なお、先にも少し触れたが、この一帯の山が茸山であることは、随所に見られる立看板等から一目瞭然であるので、縁あって本文を目にされて、これらの山への訪問を志された方には、くれぐれも訪問時季には十分注意し、殊に夏から秋にかけての茸シーズンの訪問は絶対に避けるべきだ。実際、筆者が本項の山の名について地元の人に聞き回っている際、一人の人が「いや… あの山は、地元でもアンタッチャブルな山でね…」と意味深長な表情で語っておられたのが忘れられない。以上の事情を承知の上、なお茸シーズン中の訪問を強行し、結果としてどんな目に遭われても、筆者としては一切責任は持てない。また冬季間は狩猟者が入り込む山でもあるようで、それはそれでまた別の危険があるので… 結局、これらの山への訪問時季としては、やはりカタクリの時季が最適ということになろうか。
← 大久保山を望む(1,070m小岩峰の頂上より)
(平林の東にある1,108.0m三角点峰が大久保山、その南約300mほどの峰が1,100m峰です。)