糠塚山(ぬかづかやま)
 〜白亜の仏塔がよく目立つ里山〜標高746m〜
 小諸市にある「乙女湖公園」の南にある里山。「糠塚」とはまた面白い山名だが、『信州の伝説』(第一法規刊 1970年)によれば、この山の麓に昔、長者が籾糠を捨てた跡が残っているのが山名の由来という。(注:『日本歴史地名体系 20 長野県の地名』(平凡社刊)中「与良町」の項では、長者が籾糠を捨てたのが積って山になったとしている。当時の長者の繁盛振りをよく表現してはいるものの、さすがにここまでくると現実味が薄い。おそらくは『信州の伝説』にある話の内容に尾鰭がつき、併行して言い伝えられてきたのであろう。)
 この山の頂上には、結構大きい白亜の仏塔(注:仏塔とは、釈迦の没後、火葬にした後の遺骨=「舎利」を納めた塔=ストゥーパ)が建てられており、それがまた山麓からよく目立つので、上信越自動車道を走行中の車窓などから、多くの人が目を惹かれた経験があるのではないだろうか。この仏塔、三省堂刊『日本山名事典』中「糠塚山」の項によれば、インドのネルー首相から贈られた舎利を祀ってあるとのこと。脇には「世界平和大本尊信濃佛舎利塔」と彫られた石碑が建ち、塔の中には立派な金色の釈迦如来坐像が安置されている。(注:「土足厳禁」だが階段を上がれば間近で拝礼することもできる。) これは世界各地で平和運動を推進している日蓮宗系の宗教団体「日本山妙法寺大僧伽」によって建てられたものといい、仏塔の正面に向かって左手には「日本山妙法寺」の額がかかった堂も建てられている。
 また、頂上付近には信州の著名な俳人・小林一茶の句碑がある。碑自体は比較的新しそうだが、碑面には一茶直筆の複写を彫ったものと思われる味のある筆跡で「ことし七月既望夏の糠塚山に上る勝景はさておき麓の村々魂送り火焚てなこりをおしみ天も隈なく晴れて仏の帰路を照し給ふさなから別世界なりけらし 一茶 精霊は立ふる廻の月夜かな」とある。この文言から推するに、丁度盆の時期に登った際の情景描写のようだ。ちなみに一茶が活躍したのは18世紀後半から19世紀前半にかけてであり、その当時において彼までが訪れているくらいだから、この地域では案外昔から親しまれてきた山なのだろう。
 さらに興味深いことには、この山、2012年に発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第1巻 佐久編』(戎光祥出版刊)によれば、中世の狼煙台であった可能性が高いという。確かにこの山、独立的に盛り上がっていて、割と目立つので、狼煙台を設けるには格好の場所であったろう。(注:郷土出版社刊『定本 佐久の城』中「コラム 信玄の飛脚かがり」の項にある「佐久地方を通る武田氏の仮説飛脚かがり図」に「東山虚空蔵山」とあるのが位置的に糠塚山のことらしい。もっとも『長野縣町村誌 東信篇』中「小諸町」の「山」の項等には「糠塚山」の別称を「虚空蔵山」とする記述はないが… 地元俗称の一つであろうか?)
 この山に訪れるには、「乙女湖公園」あたりから「野鳥の森」を経由して歩いて登るルートもあるようであるが、なにしろ頂上に仏塔や寺があるほどの山であり、実のところ、ほとんど頂上まで車で上がれてしまう。それゆえ「山」としては少なからず物足りない感は否めないが… ただ、小諸市観光協会ホームページによれば、この山から望む浅間山の眺めが「小諸眺望百選」に選定されているとのこと。もっとも頂上自体は残念ながら周囲を樹木に遮られ、眺望はあまりよくないが、少なくともこの山のどこかからは浅間山を良好に望めるポイントがあることであろうから、そんな場所を探索しながら、しばし付近を散策してみるのもまた一興であろう。

 ← 仏塔(糠塚山頂上にて)

【緯度】361831 【経度】1382605