城山(じょうやま/祢津下ノ城址)
 〜往時の有力豪族祢津氏の本城址の山〜標高820m〜
 東御市内、上信越自動車道東部湯の丸ICのすぐ北あたりに目につく、小さいけれど端正で意外な存在感を有する山。見るからに山麓の監視にはもってこいの地形であり、戦国時代にこの地方の有力な豪族であった祢津氏により山城が築かれたのは至極当然の帰結だったろう。祢津氏は、当時海野・望月両氏と並び称された「滋野三家」の一つで、戦国の動乱期に幾度かの盛衰を経ているようだが、この山はその祢津氏の本城址の山。登山の対象としてはかなりマイナーな山ながら、そんな地味な印象とは裏腹に、きわめて険阻に構築された空堀や切岸の状況などに接するにつけ、かつて権勢華やかなりし頃の祢津氏の面影を見る思いがする。
 この山の名については、『長野縣町村誌 東信篇』の「禰津西町」や「姫子澤村」の項の記述によれば「下ノ城」と呼称されてきたようであり(注:祢津氏の山城址には、本城の「下ノ城」と、その後詰の「上ノ城」があり、ここに紹介するのは前者の「下ノ城」の山の方)、また長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の「祢津下の城」の項の所在地欄には「字
城山」とある。現在では一般に「祢津城山」と呼称されているようであり、本項でも当初はそれに従って山名紹介してきたが、その後、他の類似例との整合のため、やはり正式の字名通り「城山」とすることにした次第。
 この山に登るには、山麓から細い林道をたどって直下まで行く手もあるようだが、筆者の場合、ろくに事前知識も持たないままに適当に山麓に車を走らせ、西宮集落から「宮嶽山陵神社」経由で登頂した。このルートをとる場合、神社の登り口には駐車スペースが1台分位しかないのがネックだが、それさえクリアすれば、後は神社経由で山城址の頂上まで往復しても所要1時間もあれば十分。しかも、その比較的短いコースの間、神社まで延々と続く長く急な石段や、山の上にしては意外なほど立派な神社の社殿(注:しかもこの神社、『長野縣町村誌 東信篇』の「姫子澤村」の項の記述によれば、祭神は清和天皇の第四皇子の貞保親王で、「里俗の傳に貞保親王の墳墓の地なりと云」とある興味深い地)、さらに前述したような頂上直下の険阻な空堀や切岸… と、結構変化に富み、最後に本丸址の頂上で得られる明るく雄大な眺望とも相俟って、所要時間の割に充実感は高い。なお、神社から先が少々判りにくいが、社殿の左手に続く踏み跡をたどり、細い林道に出れば「祢津城山」を示す明瞭な標識があるので、後はそれに従えば迷うことはない。

 ← 祢津下ノ城址の城山を望む(上信越自動車道東部湯の丸IC付近より)

【緯度】362245 【経度】1382053
(東部湯の丸SAの北の城址ピークが、本項で紹介する祢津下ノ城址です。)