城山(じょうやま/中山城址)
 〜顕著な山城址の割に参考文献過少〜標高880m〜
 長和町の落合から岩井あたりに延びる山稜上にある、中世の山城址(中山城址)の山。
 この山稜、落合あたりから見ると結構ピラミダルで、別段山に興味のない向きにも、多少は気になる存在ではないか。実際、筆者が何の事前知識もなく、そこに訪れてみようと思ったこと自体、その端正な円錐形の山容に惹かれたがためであった。
 然るにこの山、意外にも、地元ですら山城址があることはおろか、山名すら知らない人が多いようなのだ。大体、筆者が山城址の山に訪問しようとする場合に必ず参考にする文献〜南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)や、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』にも一切記事が掲載されておらず、筆者は実際にここに登ってみて、初めてそこが山城址だと判ったものであった。然るに帰宅後に『長野縣町村誌 東信篇』を参照しても、そこにすらこの山城址に関しては何らの記述がなく… 結局、詳細が判明したのは、訪問後1年余りも経過した後、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第3集 改訂上田小県資料編』(長野日報社刊)を参照したことによってであった。
 同書によれば、この城址の呼称は「中山城」で、地元伝承等によれば武田氏由来の城という。麓の「落合」はその名のごとく、大門峠、雨境峠、和田峠、扉峠など峠越えの道が合流する交通の要衝で、戦略上の重要拠点にあたり、また往時は甲斐の武田氏も大門峠を盛んに通行していた様子がうかがえることなどから、相応の任務を帯びて管理されていた砦であろうとのこと。また、この城の別称は「城山」「中山ごや」とあるので、山名は「城山」として差し支えない模様… かくて山名、山城名とも、これでようやくにして判明し、筆者としても胸のつかえを下ろすことができた次第。
 この山に訪れるには、山麓の落合集落あたりから、尾根通しに登るのが順路。尾根の末端部の、松の老樹の切株がある地点(注:根元に庚申塔や百万篇供養塔あり)の道を隔てた反対側の石段が登り口。ただ付近に駐車場所が乏しいのがネックだが、筆者はたまたま付近にいた地元の方に交渉し、田圃の脇のスペースに駐めさせていただいた。登り出すとすぐ「稲荷大明神」を祀った祠があり、さらにその上部で発電所の貯水槽施設の脇を通過。急な山稜を登りつめ、やがて道が平坦になると、その少し先で、空堀や土塁、郭など、顕著な山城址の遺構が次々と現れる。特に郭らしき平地は結構な広さがあり、山上とはいえ、相当な城館施設を設けることが可能であったろうと想像されるほど。なおしばらく山稜を進み、何条もの空堀を突っ切り、最後にかなり急峻な切岸を乗り越えると、今度は本郭址とおぼしき地に達する。そこは地形図上880m等高線のある峰で、中山城址の遺構の主要部分としては最上部に相当するので、一応ここを本「城山」の頂上とみなしてよいだろう。ここまで登り口からの所要時間は30〜40分ほど。

 ← 中山城址の城山方面の山稜を望む(山麓の落合集落付近より)

【緯度】361352 【経度】1381454
(863.5m三角点峰と、902m標高点峰の間に位置する880m等高線の峰です。)