城山(じょうやま/丸子城址)
 〜徳川軍と激戦、ついに死守した山城址〜標高685m〜
 旧丸子町(現:上田市)にある戦国時代の山城址(丸子城址)の山。
 山麓は丸子公園で「安良居神社」やちょっとした遊園地などがあり、ちょうど須坂市の臥龍山とか千曲市の一重山のごとく、今は付近住民の格好の憩いの森という趣の山だが、実は天正13年、神川合戦の余波で実戦を経験した要害の地。それも相手はあの徳川家康の大軍だった上、真田昌幸配下の丸子三左衛門を守将に激戦を展開し(丸子表の戦い)、ついに落城しなかったというのだから驚く。一般に信州では甲斐の武田氏などの侵略に衆寡敵せず悲惨な落城をした山城址が多い中、数少ない痛快な戦歴を有する山城址のひとつであり、信州人の私など神川合戦における真田昌幸の武勇とも併せて快哉ものだ。
 登るには丸子公園からがよい。依田川べりの駐車場に車を駐め、「安良居神社」前から割と狭い山稜をたどる。途中、東屋も適当に配置されていて、家族連れなどでノンビリ歩くには格好の道。じきに物見櫓を模した木製の展望台があるピークに達するが、ここは二の郭址。展望台に上がってみると、眼下の丸子町はもとより、その背景の烏帽子岳、浅間山、四阿山等の眺望が素晴らしい。二の郭から本郭址の頂上までは、わずか下って登り返せばすぐ到着。顕著な土塁や段郭、溜井戸の遺構や矢竹の生育がみられ、往時の激戦の模様が偲ばれる。以上、丸子公園から丸子城本郭址までの所要時間はせいぜい30〜40分もみておけば十分という手軽さ。地元を除けば、一般には知名度の低い山かも知れないが、あの徳川の大軍(神川で真田昌幸と交戦し大損害を受けた後とはいえ)の猛攻に寡兵よく耐え、ついに死守したとの痛快さからも、歴史ファンなら必見の地であろう。
 なお、この城址の山名については、『長野縣町村誌 東信篇』の「腰越村」の山の項によれば「大羽毛山」とあり、当初は本項でもこの名称で紹介したのであるが、実際のところこの山名、現在では地元でも一般的でないらしく(注:現に、私は複数の地元の方に「大羽毛山」の呼称について尋ねてみたが、例外なく怪訝な顔をされた)、それよりも「城山」の呼称の方が現在では一般的なようなので(注:新人物往来社刊『日本城郭大系 8 長野・山梨』の「丸子城」のこの山名項を参照すると「通称、
城山と呼称され…」とある)、いささか味気なくはあるものの、無難な線で「城山」に改めた経過がある。この点、御了承をお願いしたい。

 ← 丸子城本郭址(城山頂上)

【緯度】361902 【経度】1381548
(安良居神社の南西の684.6m三角点ピークが、本項で紹介する丸子城址です。)