三水城山(みすいじょうやま/三水城址)・狐落山(こらくやま/狐落城址)
〜この城の陥落が川中島合戦の端緒に〜標高790m(三水城山)・670m(狐落山)〜
坂城町の千曲川左岸、戦国時代の山城址(狐落城址・三水城址)のある山々。「狐落(こらく)」などという意味あり気な城名の通り、部分的に狐が転げ落ちそうなほどの急傾斜面を有する山で、上信越自動車道「千曲川さかきPA」あたりから眺めると、別掲の岩井堂山の南に、結構端正で堂々たる山容を見せている。それだけに、まさに山城にはうってつけの山といえ、事実、かつてここに村上氏により築かれた山城は、千曲川を隔てた対岸の本拠「葛尾(かつらお)城」と共に、村上義清の軍勢が拠って甲斐の武田信玄の侵攻に頑強に抗した堅城であり、しかも、ここが武田の謀略によって陥落したことが、結果的に村上義清を越後の上杉謙信の元に走らせ、川中島の合戦を誘発する転機になったとさえいわれている。
かくも、歴史上重要な意義を有する山城址の山でありながら… これらの山々、なぜか地形図上では山名が明らかでないのだ。それで試みに登り口付近で出会った地元の人に尋ねてみると、「さぁ… どうなんでしょうねぇ、ここらじゃ普通、前山って言っていますがね…」との答えが返ってきた。いささか意外だったので、家に戻ってから地元坂城町役場に問い合わせてみると、地形図までメールに添付していただいた上、確かにそのあたりの山を「前山」と言っているとの回答があったので、本項でも当初は両城址の峰を包括して「前山」と紹介した。
が… その後、『長野縣町村誌 北信篇』の「網掛村」の項を見ていたら、何と「三水城山」と「狐落山」の名がそれぞれ記載されている上、「前山」という山は別に記載されているのに気付き、さては別の山の名を紹介してしまったのではと愕然とした。しかし前述の坂城町役場からお送り頂いた地形図には確かに「前山」と記されているし、いささか頭が混乱したため、再度落ち着いて『長野縣町村誌』の記載内容を仔細に検討してみると、つまるところ「前山」とは、同じく『町村誌』中に記載のある「上手山」や「五狹山」などと同様、「三水城址」や「狐落城址」のある峰と一連の山体の一部をなしているものであることがわかってきたのだ。となると、今日地元で「三水城址」のある峰を「前山」と称していること自体は決して誤りではないと思われるのだが… しかし厳密な意味で言えば、それぞれの城址の地点ごとに個別の名称があるわけだから、ここはやはり峻別しておくべきなのだろうとの自分なりの結論に至り、今回それまでの「前山」から、あえて標記の通りの「三水城山」と「狐落山」に改めることにした次第。
なお、この際だから、ついでに細かい話をすれば、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』によれば、三水城址の「三水」の読み仮名が「みすい」となっているが、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)中「狐落城跡」の項では「さんず」としており、実際に地元の人で「さみず」或いは「さんず」と言っている方もおられるようなので、どちらが正しいのか、ここでもまた混乱してしまったのである… そこで散々迷った末、本項では当初、地元の人の言等を尊重して「さみず」として紹介したのであるが、その後発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)をおいては「みすい」と表記しているので(注:同書の凡例によれば、城館名の読み方について、文献や聞き取り調査でも判明しないものには読み方を付さない旨、明言していることから、現時点では同書の情報が最も信憑性が高いのではないかと考えられる。)、それゆえ本項でも同書の読み方に合わせ、「さみず」から「みすい」に修正した経過があることを御了承願いたい。
これらの山への登り口は「村上大国魂神社」「十六夜(いざよい)観月殿」への参道も兼ねており、前者はかつて戦国の世に甲斐の武田と対峙した信州の英傑・村上氏の氏神、また後者は、その村上氏の祖先にあたる源顕清が配流先での心の慰めに月を愛でた場所という。それぞれ参拝・見学した上で登り始めよう。自然石に彫られた「山の神」などを見つつ高度を上げ、いよいよ「狐も転げる」急傾斜に挑戦… といっても、いざ行ってみれば、事前に想像したほどでもないので御安心の程を。歩き難そうな箇所には、ちゃんと石が階段状に配置されているので有難い。ただ、冬場に登る際には軽アイゼンでもあれば重宝するだろう。そのうち石積の遺構らしきものもみられる明瞭な郭址に飛び出ると、そこではじめて城址の案内看板を見出す。通常「狐落城址」すなわち「狐落山」とされているのはこのあたりで、そこからは南の上田市方面の眺めが素晴らしいが、三角点のある「三水城山」の頂上はまだ先。道はなお幾つかの堀割を経ながら続いていき、さらに急登を乗り越えると、頂上直下でまた複数の堀割を突っ切り、ようやく三角点標石のある頂上に達する。そこは周囲の状況から明らかに砦の址と判る平地で、前述の通り「三水城址」と呼ばれて狐落城とは別の城扱いになっているが、狐落城の後詰の城であったことは間違いないだろうし、また堅固なイメージはむしろ狐落城以上のものがある。さらにそこからは、やや樹木が障害となるものの、千曲川対岸の太郎山や虚空蔵山、烏帽子岳など上田市近辺のおもだった山々をはじめとした優れた展望と高度感! 往時この山が村上氏の死命を制する堅城であった所以が、改めて実感されることだろう。
以上、十六夜観月殿から狐落山経由、三水城山頂上までの所要時間は、休憩込みで1時間半程度みておけばよい。
← 三水城山・狐落山方面を望む(上信越自動車道「千曲川さかきPA」より)
(「上平」の789.5m三角点峰が三水城山、その北東約400mの尾根上が狐落山です。)