兜岩山(かぶといわやま/鍋割城址)・御岳(おんたけ)
〜その名のごとき山容の岩峰〜標高1,368m(兜岩山)・1,350m(御岳)〜
これらの山々は、はからずも筆者にとっては、いささか苦い思い出とともにある山となってしまった…
平成2年の晩夏、筆者の母が病に倒れ、以来、筆者及び筆者の父は、平日は仕事が終わると病院に駆けつけ、土日は病院に詰めるという看病の毎日で、当然、山になど訪れている暇などなかった。そんな中、筆者は日々心身ともに蓄積していくストレスにさすがに耐えかね、気分転換を図るべく、ある晩秋の日、平日に休暇を取得して登ったのがこれらの山だった。無論、夕方には病院に駆けつけたのではあるが…
その山行時、筆者の目に映った数々の情景は、無論筆者の心身をいくらかは癒してくれた。しかし… 山行中ずっと、我が心中には、やはり一抹の後ろめたさが終始つきまとった。そして… 結局筆者の母は、その年の12月初めに世を去った。
以来、筆者はこれらの山々の名を聞くと、当時の苦しい日々の記憶や、若干の後悔の念が脳裡に湧き上がるのを如何ともしがたく… 現時点で再度ここに訪れる気になれないでいる。
かくて、筆者にとっては数ある山の中でも特別な存在となってしまった山々ではあるが… そんな事情と無関係な本HPへの来訪者のため、以下これらの山々への登路の概略をご紹介する。登山コースは荒船不動から星尾峠までは前掲の荒船山と同じ。そこから、荒船山方面とは逆に山稜をたどり、端正な山容の「御岳」経由のアップダウンのキツい道を突破すると兜岩山の頂上に達する。登山口から兜岩山頂上まで約2時間。この間、御岳から兜岩までの中途で北面を巻く「ローソク岩」の奇観は一見の価値あり。なお、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』によれば、兜岩山の頂上部は戦国時代の山城址(鍋割城址)で、内山城(別掲)の砦であろうとのことだが、本当だとすれば、こんな標高の高い山の上にまで砦を築かねばならなかったことからして、戦国時代の殺伐とした様相が容易に想像される。(もっとも2012年に発刊された宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第1巻 佐久編』(戎光祥出版刊)によれば、ここは狼煙台としては標高が高くて天候に左右されやすい上に、水が得られず、また南の尾根以外は断崖で行き止まりのため安全性にも問題があるとして疑問を呈されている。その上で、実際の鍋割城は、兜岩山の北東山麓に位置する「館ヶ沢」集落のあたりにあったのではないかと問題提起されている。確かに「館」という地名や、水が得やすい地理的条件などから考えれば、大変説得力のある見解であると思われる。)
← 兜岩山(北山麓より)
(緯度・経度は兜岩山に合わせてあります。御岳はその東の1,350m等高線のある峰です。)