稲荷山(いなりやま/稲荷山城址)
〜「コスモタワー」が目印の里山〜標高750m〜
今は佐久市となった旧臼田町の中心部に近い「臼田橋」のすぐ脇の千曲川左岸に小高く盛り上がる、山というより丘といった方が相応しいような優しい山。付近の信号に「城山」の標識があることからも判る通り、戦国時代の城址(稲荷山城址)があると共に、中腹に稲荷神社が祀られているためか「稲荷山」という固有の山名を有する。
一帯は「稲荷山公園」として公園化されており、特に頂上近くに建立された児童施設「コスモタワー」は近隣からもよく目立ち、今やこの山のシンボル的存在。麓からの比高もきわめて小さく、しかも頂上近くまで車で上がれてしまうので「山」としては少なからず物足りない面もあるのだが… それでも多くの山の中にはこんな「山」もあっていい。公園として付近住民の憩いの地であり、城址として歴史探訪の地であり、また稲荷神社があって信仰の地でもある。山上から山麓の眺めもなかなか良いし… 人それぞれ、その時々の事情、例えば時間的制約とか、天候的あるいは身体的コンディションとかに応じて適宜訪れれば、それなりに「山」としても十分楽しめる場所だと思われる。むろん、この山をどう評価するか、最終的には人それぞれの「山」というものに対する価値観の如何にもよるであろうが…
なお、「山城址」としては、中世というよりは近世的な縄張りであるようで、山中には主に北側に結構顕著な郭の遺構も見られるものの、歴史的にはあまり目立った記録が残されていない模様である。宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第1巻 佐久編』(戎光祥出版刊)によれば、この城が記録に出てくるのは意外にも武田氏滅亡後のことであり、天正13年(1585年)、上田城攻撃に失敗した徳川家康の軍が引き揚げたのがこの城ということである。
← 千曲川右岸側から望む稲荷山(左端はコスモタワー)