殿上山(でんじょうさん/殿城山とも)
 〜霧ケ峰高原外れの展望の峰〜標高1,800m〜
 長和町の南、霧ケ峰高原の外れ的位置にある、知る人ぞ知る寂峰。1,800mと切りのいい標高、頂上付近の霧ケ峰特有の草原の開放的な明るさ、また眼前間近に迫る蓼科山や車山をはじめとする周囲の大展望など、実際に登ってみての印象には非常に強烈なものがある山の割に、なぜか地形図上には山名も道の表示もないわ、また頂上には三角点もないわと、まるで目立たない、不遇の見本のような山。もっとも、そんな状況が幸いして、比較的開発が進行した霧ケ峰周辺の山々の中にあって、なお良好な雰囲気を保ち続けている数少ない山のひとつとなっているのだろうが。
 この山の名の表記は一般に2種類あり、通常は「殿
山」と表記されることが多いようで、頂上の山名標示板もこちらを記しているが、登山道中途に設置されている標識類の多くには「殿山」とある。どちらが正しいかについては、地図上に山名の表記がなく三角点もないせいか、残念ながら三省堂の『日本山名事典』にも掲載されておらず、本文記述時点では確かめようがなかったが、ここでは同じ東信エリアにあり上信越道の上田菅平ICに近い「殿城山(とのしろやま)」と区別する意味で、当面「殿上山」の表記を採用した。むろん、後日考えが変わったら修正するつもりであるが、案外「新選組」と「新撰組」みたいなもので、あまりこだわる必要もないのかも知れない。
 ただ、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第3集 改訂上田小県資料編』(長野日報社刊)によれば、この山、上述の「殿上山」「殿城山」という呼称の他に、「天城山」「さるが城」とも呼ばれているといい、そのことから、中世当時この山に地元の人々が戦乱を避けて逃げ込む「詰めの城」があったことが想像されるという。そう言われて見ると、頂上からの見晴らしの良さや、頂上及びその周辺に何やら人の手が加えられているかのような平場があること、さらには頂上手前に岩穴があることなど、先の意味あり気な山名とも相俟って、実際ここに山城があったとしても不思議はないように思えてくる。(注:もっとも宮坂氏は、頂上一帯の平場は山城の遺構とは即断できず、頂上は物見には使用されたかも知れないが、地元の人々が実際に逃げ込んで籠った場所は、この山の周辺の大笹川や駒場川あたりではなかったかとの見解を述べられている。)
 登山口までは、長和町から白樺湖に上がる国道152号(通称大門街道)の大門峠のやや下にある「姫木平」別荘地の中を通過して「エコーバレー」スキー場に突き当たり、ついで左に進んで国有林道のゲートの手前に至るのが判り易かろう。ゲートから先は徒歩で林道をしばし歩くと、じきに右に分れる明瞭な登山道があるので、後は適当に現れる標識に従いつつ登ればいい。林道ゲートから頂上までは1時間程度。

 ← 殿上山頂上にて(背景は蓼科山)

【緯度】360651 【経度】1381218