城山(じょうやま/竜ケ崎城址)
 〜文字通り竜が頭をもたげたような尾根の先〜標高876m〜
 辰野町宮所にある、戦国時代の山城址(竜ケ崎城址)の山。竜ケ崎(山)ともいい、北西の穴倉山側から派生する、文字通り竜が頭をもたげたような尾根の末端上にあって、山としては標高900mにも満たない平凡な存在ながら、伊那谷側から北上して塩尻・松本方面に向かおうとする場合、横川川沿いの谷筋がちょうど急激に狭窄する地点に位置していることから、一見して往時要衝の地であったことは想像がつく。
 実際、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)等の記述によれば、かつて天文14年(1545年)、甲斐の武田信玄が箕輪の福与城を攻めた際、小笠原勢が松本側から援軍に駆けつけ、ここ竜ケ崎城を拠点としたとある。もっとも、戦闘自体の方はどうかといえば、武田の侵略の矢面にたった他の多くの信州の城の運命と同様、ここもまた武田方がさしむけた板垣信方勢の攻撃にあえなく陥落し、小笠原勢は後退のやむなきに至ったという。要するに、ここは「山」としてはともかく、「城址」としては少なくとも立派な実戦場であり、また、その天文14年の戦いの結果が、最終的に福与城開城の引金となり、ひいては近い将来の小笠原氏の衰亡をも暗示する出来事であったという意味において、ここは信州の戦国乱世史において立派に重要な意義を有する史跡といえるのだが… その割には筆者の訪問時点では、案外山麓にも、また山中にも何の標識も案内看板もなく、よほど当時の歴史に興味関心があって事前知識を有している者を除いては、ここに訪れるのは地元の一部の人達だけだろうと思われる状況だった。
 もっとも、道形自体は割としっかりしているので、ルートさえ誤らなければ登りは容易。取り付きは山麓の「池上寺」の裏手の墓地あたりからになるが、小道が錯綜している上、前述の通り特に標識もないので、とにかく上に登ってみてルートを物色するしかないが、墓地の上部に見えるお堂に向かって左脇あたりを探せば適当に何とかなるだろう。道さえうまくつかまえれば、後は小祠や石仏などを路傍に見つつ上がっていけば、そのうち三角点(注:最高点ではない)を過ぎ、さらに空堀や郭の遺構を見て、最後に周囲を土塁で囲まれた城山頂上の本郭址に達する。麓の池上寺から頂上までの所要時間はほんの20〜30分程度と手軽。頂上には前述の通り何の標識も案内看板もなく、ただ夏草が一面に生い茂る、ある意味、いかにも古城の址らしい雰囲気の場所だが、よく見ると本郭手前の二の郭の一角に「木花開耶姫命」の石碑が2基みられ、地元の人々の信仰の一端が伺える。なお、池上寺のすぐ上に公園風に整備された平地は、どうも館址らしいので、時間があれば参考までに見ておくとよい。

 ← 竜ケ崎城址の城山を望む(辰野町宮所付近より)

【緯度】355927 【経度】1375832