五郎山(ごろうざん)
 〜信州の英傑・仁科五郎盛信公の眠る山〜標高960m〜
 長野県歌ともいうべき名歌『信濃の国』。その第5番に作詞者・浅井冽によって「仁科の五郎信盛(注:正しくは盛信)も〜 皆此の国の人にして 文武の誉たぐいなく 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず」と詠い込まれた信州の英傑・仁科五郎盛信公ゆかりの山。
 仁科盛信は甲斐の武田信玄の五男で、信州高遠の城主であったが、信玄没後の天正10年(1582年)2月、織田信長が送り込んだ5万の大軍に対して僅か3千の兵により果敢な籠城戦を挑み、衆寡敵せず全城兵もろとも討死して果てた。当時まだ26歳の若さであったという。
 その彼の霊が祀られているのがこの山。登山口の鳥居をくぐって登ってゆくと、下から順に、一郎山(諸士の墓)、二郎山(諏訪はな祠)、三郎山(渡辺金太夫祠)、四郎山(小山田備中守祠)、と祠が祀られており、最後の五郎山頂上にはひときわ立派な仁科盛信公の石祠と共に、同公の石像と「日本魂」の碑が設置されている。
 この山に訪れるには、旧高遠町(現:伊那市)の「白山トンネル」のすぐ脇から上がっている車道をたどれば、車でも頂上直下まで入れてしまうようだが、それでは何か、英傑仁科盛信公に対して申し訳ないような気がする。やはり、東の西和手集落あたりからの登山道から、前述した一郎〜四郎の祠に頭を垂れつつ、頂上の五郎山に至りたいもの。そちらからでも、登山口から頂上までの歩行時間はせいぜい30〜40分もあれば十分なのだから。

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【緯度】354922 【経度】1380324