桑原山(くわばらやま/桑原城址)
 〜名門諏訪氏最後の拠点の山城址〜標高980m〜
 諏訪湖の南東、桑原集落の背景をなす、戦国時代の山城址(桑原城址)の山。ここはかつて戦国の世に、信州の名門のひとつとして知られた諏訪氏が、甲斐の武田信玄の侵攻に際して最後に拠った山城の址として知られる。長年の政略奏功せず、武田に抗した多くの信州豪族たちの運命と同様、名門諏訪氏もまた滅亡の途をたどった。南東の上原城(別掲の金毘羅山)を捨てた時点で凋落著しい諏訪頼重の家臣の多くは離散、桑原城に籠ってみたものの、最終的にはほとんど自落に近い状況だったらしい。そして敗将頼重は甲斐に送られた末に自害に追いやられ、頼重の娘である「湖衣姫」(注:新田次郎が小説中で考え出した名。ちなみに井上靖の『風林火山』では「由布姫」)は諏訪家再興の願いを胸に信玄の側室に… いかに戦国の世とはいえ、ここまですれば武田氏は諏訪氏の怨霊に祟られて滅亡したのだとの風説が生じても無理からぬように思われる。
 この山には「東山歴史の遊歩道」としてウォーキングトレイルコースが整備されており、登り口は「桑原口」「普門寺口」と2つあるが、駐車場の関係から一般には後者を採るのがよかろう。登り口には大きい案内看板があるので見落とすことはあるまい。本郭址の頂上までは、そこからほんの20〜30分も歩けば達する。土塁の痕跡がみられる本郭址の周辺には山城址らしく矢竹が生育し、また二の郭との間にはかなり深い空堀がみられるなど、城址自体の遺構もきわめて顕著で見応えがあるが、それ以上に印象的なのは、二の郭から望む諏訪湖の俯瞰。歴史ファンならずとも、これを望めるだけで訪れる価値は十分ある珠玉の景観といえよう。

 ← 桑原山を望む(四賀小学校前より)

【緯度】360132 【経度】1380824