城山(じょうやま/吉窪城址)
 〜小粒ながら目立つ山城址の峰〜標高619m〜
 長野市街地の西にある犀川「小田切ダム」の真北あたりに屹立する、小粒ながら立派な山容を見せて登行欲をそそる戦国時代の山城址のピーク。そんな目立つ峰ながら、なぜか国土地理院の地形図はじめ各種文献からは山名が明らかでないが、小田切ダムに近い犀川左岸の吉窪集落への車道の分岐点付近にある小田切観光協会の案内地図看板によれば「城山」と表記されているので、筆者もそれに従うこととする。
 展望の良さとある程度の険しさを兼ね備えた里山は、多くの場合、戦国時代に城が築かれた経歴を有しており、この峰の場合もその例にもれず。かつて、川中島の戦いより以前に甲斐の武田信玄と対峙していた村上氏配下の小田切氏の山城であったという。宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)によれば、この小田切氏は佐久市小田切の出身で、戦国時代の弘治三年(1557年)に甲斐の武田氏が上杉方の葛山城を攻めた際、上杉方について抵抗したものの、落合備中守と共に同城に籠って戦った小田切駿河守は討死、その子の民部少輔は「小市城」に籠った後、同城を放棄し行方不明になったという。なお一説には吉窪城こそ、この「小市城」であるともいうが、定かでないようだ。
 さて、この山に登ること自体は、険しそうな山容の割にはきわめて容易で、北西山麓の吉窪集落からほんの20〜30分もあればその頂に立てる。小祠が多く祀られている頂上からは、善光寺平の俯瞰が良好なのはむろんのこと、南に冠着山や大林山などの眺望もいい。

 ← 小祠(吉窪城址本丸跡にて)

【緯度】363729 【経度】1380721
(吉窪集落の南東の619.2mのピークが、本項で紹介する吉窪城址です。)