城山(じょうやま/割ケ嶽城址)
 〜「姫の泣き石」の伝説に心も重く…〜標高770m〜
 信濃町の野尻湖のすぐ南東にある、戦国時代の山城址(割ケ嶽城址)の山。城址の名称から判る通り、国土地理院の地形図上は「城山」とあるが、地元での本来の山名は「割ケ嶽」。この山で第一に興味を惹かれるのは、南西麓にある特徴ある露岩「姫の泣き石」の伝説。昔、合戦で父を失った上、恋人までを落雷で失った姫が悲嘆にくれて泣き暮らした果てに石と化したというもので、そのため今も表面が濡れているのだという。この山城址、御多聞にもれず、例の武田・上杉の一連の争いの過程において落城の歴史があるといい、石と化したかどうかはともかく、少なくともこのような伝説が生じるベースとなった哀話は実際に存在したかも知れず、また、似たような話が同じ北信エリアの髻山(別掲)にもあり、同一の伝説が伝播変化を経て複数の物語となって今に伝わっている可能性もある。そも、主として甲斐の武田氏の侵攻により、かなり悲惨な被害を被った信州のこと、このような話が生じる下地はいたる所にあったと言えなくもないが(注:もっとも『長野縣町村誌 北信篇』の「富濃村」の項には、「里俗傳に養和中、城主柴津爲信、木曾義仲の爲に滅亡すと云ふ。確乎たらず。」とある)。
 この山に登るには、南麓の柴津集落から道があり、車道の脇に入口を示す標識もあるが、困ったことには付近に適当な駐車場所がないので、地元の人の迷惑にならないよう、例の「姫の泣き石」の近くの空きスペースにでも駐車して行くしかあるまい。登り口から頂上までは、ほんの30〜40分もあれば達することができる手軽な山だが、山城になるくらいだから結構急峻な箇所もある。頂上付近には明瞭に郭や堀切の遺構がみられ、本郭址には小祠と案内看板がある。周囲は樹林に囲まれ、展望はあまり利かないが、5月下旬頃なら足許に咲き誇る可憐なチゴユリの花々に心がなごむことだろう。なお、登る前にしろ後にしろ、例の「姫の泣き石」は是非見ていきたいもの。

 ← 割ケ嶽城址の城山を望む(山麓の富濃集落付近より)

【緯度】364834 【経度】1381431