城山(じょうやま/若宮城址)
 〜山間の一古城に伝わる意外に奥深い歴史〜標高690m〜
 旧三水村(現飯綱町)にある戦国時代の山城址(若宮城址)のある山。別掲の鼻見城山と同様、芋川氏の城址であった所であるが、こちらが本拠にあたり、鼻見城の方は支城だったとのこと。その代わり「山」としては、後掲の鼻見城山が「長野の自然100選」に選定されたりしているのに比べ、いささか地味な印象を禁じ得ず… その意味では好対照であるといえようか。
 アプローチは、国道18号線筋から旧三水村に入り、北上して若宮集落へと車を走らせれば、城址への入口には看板があるので、すぐに判る。ただ、付近に駐車場がないのがネックで、どこか地元の人の迷惑にならない所に注意して駐めて登るしかない。なお、この山は地形図上、山名の表記はないが、登り口付近でたまたま出会った地元の人によれば、普通に「城山」といっているとのことだったので、ここでもその呼称を採用した。
 遊歩道入口から登り始めると、すぐに石祠のあるポイントに出て、その手前を左に上がる。そのうち明瞭な郭の遺構である小広い平地を通過し、さらに明瞭な堀切の痕跡を左に見つつ、いくつか郭や切岸を乗り越えると、やがて頂上への最後の階段道に。登り切ったところが若宮城の本郭址で、小祠と「湊川神社遥拝所」の碑、それに「芋川古城之碑」がある。ここまで登り口からの所要時間はわずか30分ほど。樹林に囲まれた静寂な場所だが、よく見ると樹間に斑尾山方面などの展望良好。また本郭周囲の切岸も天然か人工かは不明ながら、結構急峻で見応えあり、さすが当地の豪族の本拠であった城の貫禄十分。なお、筆者はなにゆえここに楠正成ゆかりの「湊川神社」の遥拝所があるのか不思議に思い、後で調べてみたら、どうもこの城の城主の芋川氏の娘が楠正成の子孫の許に嫁ぎ、応永年間に一度落城して絶えかけた芋川氏の家名を再興したとの伝承に関係があるとのこと。信州も奥深いこんな地にまで、意外な歴史的つながりがあるものだと驚かされると共に、こんな意外な出会いないし発見があるからまた山をやめられないのだと感じ入った次第。

 ← 若宮城址の城山を望む(旧三水村の若宮集落付近より)

【緯度】364734 【経度】1381532
(若宮集落の北西にある碑の表示がある地点が若宮城本郭址です。)