鶉ケ岳(うずらがたけ)
 〜「川中嶋CC」の中が最高点の山〜標高774m〜
 長野市信更町にある、変わった名前の山。この名前だけ聞けばピンとこない向きがほとんどだろうが、実はこの山「川中嶋CC」の中に頂上がある山なので、長野市近辺でゴルフをやる者なら、おそらく知らないうちに、いとも簡単にこの山の頂上を踏んでいることだろう。が… 生憎ゴルフをやらない筆者のような者には、ボールが飛来する恐れのないシーズンオフにでも訪れるしかなく、またあえて訪れても「山」というより「ゴルフ場」であるので、車でほとんど頂上まで上がれてしまうという手軽さとも相俟って、案外訪問の機会が得られないものだ。
 しかもこの山、一部の書籍の付属地形図等に「駒ケ岳」と表示されているものがあるため、筆者など、長いことそれを信じていたのだが… 今回、本項を記すに際し、『長野縣町村誌 北信篇』の「有旅村」の「山」や「字地」の項を参照した結果、どうもこの山、実は「駒ケ岳」ではなく、「鶉(うずら)ケ岳」というのが正しいと判断されるのだ。
 それというのも、「川中嶋CC」の駐車場の脇には、意外にも「うずら石」なるものが祀られている一角があり、「遺跡 うずら石」なる石碑まであるからだ。ただこの「うずら石」、古くから何らかのいわれのあるものであることだけは確からしいが、付近に解説板の類はなく、また先の『長野縣町村誌』等の文献にも記載がない。試みに「川中嶋CC」の事務所にも行って尋ねてみたが、おられた方は県外の方とのことで、やはりよく判らなかったので、山麓の有旅集落近辺で複数の地元の人に尋ねてみたところ、おおかた次のような答えが返ってきた。
 パターン1:「昔、あのあたりに、何やらオッカネエモノ(注:何かは不明)が出て困っていたところ、あの石にお願いして、追い払ってもらったので、以来毎年お祭りしているという話を聞いた。昔は『十二』(注:鶉ケ岳の直下にある集落名)だけでお祭りしていたが、『川中嶋CC』ができてからは、『十二』と『川中嶋CC』で一緒にお祭りするようになった。」
 パターン2:「あの石は、元々あそこにあったのではなく、『川中嶋CC』ができた時にあの場所に移され、現在のように祭られたもの。以前は分水嶺(注:具体的にどこのことかは本文記述時点で不明)にあり、鳥のウズラに似た形の石なので『うずら石』と呼ばれてきたと聞いている。今は『川中嶋CC』と『十二』の者が一緒に毎年お祭りをしている。」
 これらのうち、「パターン1」については、すぐ近くの「犬石」集落に伝わる「犬石」の伝説(注:昔、このあたりに住んでいた長者が、たまたま一夜の宿を乞われて泊めた旅僧の所持品の金品に目がくらみ、その旅僧を殺したところ、それから長者は零落して死に絶え、飼い犬のみ生き残り荒れ狂って村人を困らせたが、産土神が出現し犬を諭したので、犬は改心して裏山で石と化し、以後は村を守るようになったという話)に近い筋の話であるので、話してくれた方が混同している可能性も全くないではなく、本文記述時点ではどうも確信が持てなかった。
 また、長野県立歴史館の「信州の民話データベース」で検索したところ、昔、「十二」集落の土地は「中山新田うずら石」と呼ばれていたそうで、うずらの形をしているので、そのように呼ばれたのではないかという話が出てきたが、この話ではうずらに似ているのは「石」でなく「土地」の形のように読めるが、それなら何故地名に「石」と付いたのか、どうも解せない。
 いずれにせよ、当面本項の表題は、一応現地で名称に裏付けが取れる「鶉ケ岳」としておくことにした次第であるが、「うずら石」のいわれの件も含め、今後引き続き調査し、新事実が判明次第、改稿したいと思う。
 さて、そんなわけで、この山に訪れるには、とにかく「川中嶋CC」を目指して行けばよい。「うずら石」は前述の通り、同CCの駐車場のすぐ脇にあり、立派な石灯籠や鳥居があるので、すぐに判る。また付近一帯がゴルフ場となっている中、この一角だけが一応「山」としての歴史を感じさせる、唯一のスポットなので、一般にはここを「鶉ケ岳」の頂上とみなしてよいのかも知れない。が、もし最高点にこだわるなら、事務所に立ち寄りゴルフ場内への立ち入り許可を得た上、しばし広大な頂上周辺を歩き回ってみるのもよいだろう。もっとも筆者の訪問時には、地形図上表示のある三角点の標石はなぜか見当たらず、また当然のごとく頂上の標識があるでもなく… ただゲストハウスの付近が最高点であることが判った程度であった。ともあれ、そのあたりから善光寺平側の俯瞰はまずまずの眺め。

 ← 「うずら石」(鶉ケ岳頂上付近にて)

【緯度】363439 【経度】1380519
(「川中嶋カントリークラブ」の中の774.1m三角点地点が、本項で紹介する鶉ケ岳です。)