茶臼山(ちゃうすやま/茶臼山陣址)
 〜山腹の公園の賑わいと対照的な寂峰〜標高730m〜
 「茶臼山」という名の山は全国に数多いが、ここで紹介するのは長野市の南西部にあるもの。動植物園もある「茶臼山公園」で少なくとも知名度は抜群の山の割に、以前は案外ここに登ったことがあるという人の話を聴かなかった。それゆえ私も初めての訪問時は、薮の中の踏跡をたどって登頂したものだったが… つい最近になって、しっかりしたトレッキングルートが整備され、今や安心して訪れることのできる好峰となった。「里山」ファンの筆者などにとっては、実に嬉しい限りである。実際、この山ほど興味深い歴史をはらむ山はそう多くなく… 古くは戦国時代の川中島合戦時に甲斐の武田信玄の本陣が置かれたという歴史を有し、最近では世に名高い「茶臼山地滑り」の発生地となっている。しかも、その地滑りの名残をとどめる頂上直下の急崖からは、化石が産出したり亜炭層も見られるなど、地質的にも面白い地帯でもあるとのこと。
 (注:一連の川中島合戦の中で最大の激戦となった永禄4年の戦いの前段で、武田信玄は海津城に入るまでの間、一時的にここに本陣を置いたというが、その肝心のかつて本陣址だったという場所自体が、『長野市誌』第12巻資料編の「第3編 城館跡・条里」の一覧表中「伝茶臼山陣跡」の項によれば、「陣跡は地滑りで残存していないと判断される。」とある。ちなみに崩落前の往時の様子は『長野縣町村誌 北信篇』中「山布施村」の「古跡」「茶臼山」の項が今に伝えており、それによれば「村の巳午の方、永祿四年甲越戰爭の際、武田信玄の本陣となり、水除の堀切三ケ所、旗塚數多あり。」とのこと。この文中「旗塚」の遺構は、茶臼山の南西麓に数個がかろうじて残されているものの、他はことごとく地滑りで崩壊してしまったらしく、歴史ファンとしては甚だ残念な次第。なお、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』では、なぜかここを「有旅城」としているが、他の文献資料との突合等による検証の限りでは、これには少なからず疑問があるため、本項では『長野市誌』の記述に準じ「茶臼山陣址」として紹介した次第。)
 さて、この山に登るにはいくつかルートがあり、筆者はこれまで2つのルートから訪問してみた。一つは頂上直下まで茶臼山公園内の遊歩道を上がり、頂上直下の茶臼山地滑り上端部の急崖の向かって右手から樹林の中の踏み跡をたどって登頂するルート。もう一つは、前述した南西麓の「旗塚」の遺構のすぐ先から、茶臼山地滑り上端部の急崖の直下を通過して、後は茶臼山公園からの道と合流し登頂するルート。後者の方が時間的に若干短いように思われるが、例の「旗塚」の遺構を見られるので、歴史に興味のある向きにはお薦め。頂上は三角点標石と頂上を示す標識があるだけで、周囲は樹林に囲まれて展望のない地味な場所。所要時間は、いずれのルートをとっても1時間あれば十分。

 ← 茶臼山を望む(長野市篠ノ井より)

【緯度】363543 【経度】1380633