城山(じょうやま/桝形城址)
 〜地附山の北東にある静寂な山城址の峰〜標高706m〜
 地滑りで有名になった地附山(別掲)の北東に位置する、戦国時代の山城址(桝形城址)の山。一見、単に地附山から派生する尾根上の一ポイントに過ぎないようながら、よく地形図を見ると、城址の地点は小さいながら一応ピークの体をなしていることや、また長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』や『長野市誌』第12巻資料編によれば、城址の所在地は「上松字城山」とあること等から、ここではあえて地附山とは別に一個の「山」扱いとして紹介することにした次第。もっとも『長野縣町村誌 北信篇』中「上松村」の「古跡」の項には「村の北方地附山嶺北隅にあり」としか記載がないのが、やや物足りないところではあるが。
 ここに訪れるには、位置的に本来なら地附山とセットで訪れればよい所なのだろうが、筆者の場合、たまたま夕刻近くて時間的に余裕がない中での訪問だったため、はからずも地附山は割愛して直接桝形城址に訪れることになった。その際、筆者は大峰山(大峰城址)への入口から、かつて戸隠バードラインの一部だったアスファルト道(注:地滑りのため今はゲートで閉鎖されている)を徒歩でたどり、地附山の北東尾根に達したところで左の林内に分け入って城址を往復したが、一般にもこれが順路だろう。尾根と旧バードラインとの交差地点には、当時茸採り等の安全通行用に設けられたらしい陸橋が道をまたいでいるので、すぐ判る。城址はそこから目と鼻の先で、ほんの10分程度も踏跡をたどれば、もう頂上の主郭址。付近一帯は例によって樹林の中で展望もなく、筆者の訪問時には標識すら見当たらなかったが、それでも周辺には小規模ながら比較的複雑な土塁等の遺構がみられ、『長野市誌』第12巻資料編で市内の主要城郭のひとつとして各説に採り上げられている訳が何となく理解される。
 以上、大峰山(大峰城址)入口付近のゲートから旧戸隠バードライン経由で城址の往復に要する時間はせいぜい1時間程度。旧戸隠バードラインは往路は全般的に下り加減の道であるが、傾斜はきわめて緩いので、復路でも登りはほとんど気にはならない。それにしても、かつては有料道路として人の立ち入りすら制限されていた道が、かの地附山地滑りを境として、今や堂々と道のど真ん中を歩いても誰にも文句を言われなくなってしまったのには、少なからず複雑な気持ちを禁じ得ない。特に筆者の場合、地滑り前の高校生時代くらいまでは、飯縄山や戸隠連峰に登りに行くのに、幾度となく路線バスを利用してこの道を通過した経験があるだけに、なおさら当時のことを思うと感無量のものがある。それでも無線施設のある地附山への入口地点あたりまでは、たまに許可車両が通過するとみえて、当時の雰囲気が相応に残っているが、それより先は許可車両さえも通うことがないためか、筆者の訪問時点で既に倒木等で大分荒れてしまっており、最早車での進入は難しいように見えた。路面も大分落葉等で覆われつつあったし、おそらくは後20〜30年もすれば、そこがかつてアスファルトの車道であったことなど想像もつかなくなってしまうことだろう。

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【緯度】364055 【経度】1381122
(地附山の北東約500mに位置する706m標高点峰が、本項で紹介する桝形城址です。)