小坂山(こさかやま/小坂城址)・城山(しろやま/赤沢城址)
 〜一見地味ながら見所多い山域〜標高661m(小坂山)・484m(城山/赤沢城址)〜
 両山とも長野市と千曲市との境にある、戦国時代の山城址(小坂城址・赤沢城址)の山。この近辺は「山」としては一見地味で、通常「山登り」の対象としては、ほとんど語られることのない山域なのだが… いざ訪れてみると、歴史的遺跡を中心として意外と見所が多く、標高からは想像もできないほどの充実度に驚嘆する。「山登り」にもいろいろあって、中には標高が高いか有名な山しか山と思っていない向きも多いようだが、案外身近な山にも限りない魅力が潜在しているもので、それに気付くことなく日々を過ごしてしまうことこそ、全くもって人生の大きい損失だと思わずにいられない。
 この山への登り口は稲荷山団地に近い尾根の末端付近にある。そのあたりに行けば、結構新しい「篠山遊歩道案内」という看板が設置されており、それさえ見つければ、後は迷うことはあるまい。また案内看板があるくらいだから、案外地元の人々には馴染みの深い山域なのかも知れない。
 「旧北国西街道」という道から「遊歩道」はスタートする。わずか歩くと「飯縄稲荷神社」があるが、ここの「お狐様」の石像はなかなか立派な出来栄え。神社に参拝したら、折角だから境内の右手に延びる踏跡をたどって「御嶽山の石碑」を見てくるといい。この近辺に多い御嶽信仰の証のひとつだが、ここのは背丈をはるかに超える大きい石碑で一驚することだろう。
 石碑から戻ったら、信越線の「城山トンネル」脇から高度を上げていき、次は「城山」こと「赤沢城址」に立ち寄る。標識に従い登りつめた所は既に堀割の底。頂上の本郭址はそこから右に少々進んだ所にあるが、矢竹がはびこり何の標識もない案外地味な場所。ちなみにここは南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、付近の「白助城」と共に「塩崎城」とみられるとあるが、最近は「白助城」の方を普通「塩崎城」と呼び、こちらは通常「赤沢城」と呼ぶことで落ち着いているようだ。
 また遊歩道に戻って先へ進み、次に現れるのは長野市指定文化財である古墳「越将軍塚」。結構大きい円墳で、この近辺に点在する森将軍塚などの古墳との関わりが連想され興味深い。そこから道はさらに樹林の中に延びてゆき、やがて「篠山」方面への道と左に分かれる。ちなみに登り口の案内板の表題にもある「篠山」には、分岐点の標識によれば、そこからわずか1時間程度で達せられるとあるが、「猪平」から先は車道歩きとなるので、時間に余裕がない限り、そちらは別の機会としてもよいだろう。
 分岐からわずかで小坂山直下の「桂馬平」に達するが、そこは明らかに人為的に工作された小広い平地。かつてはその名の通り、小坂城の馬場だった所だろうか? なお平の脇には「二ツ石」なる露岩があるが、残念ながら謂れは不詳。ともあれ、そこから「小坂山」の頂上まではすぐ。
 石祠が2基ある小坂山頂上は、既に「小坂城址」の一角で、最高点だけに物見郭か本郭の後詰の砦的に利用されていたものか。本郭址へは、それよりやや尾根筋を南に下るが、ここからが本城址のクライマックスで、途中、これでもか、これでもかとばかり、いくつも連続する深い堀割に驚嘆せずにはいられまい。多少ウンザリした頃、ようやく本郭址に達するが、そこからは眼下に長野自動車道あたりがよく見下ろせる。
 以上、登り口から城山(赤沢城址)、小坂山それぞれの頂上を経て、小坂城址本郭址までは所要約1時間半程度。

 ← 小坂山方面を望む(右が頂上、左端が本郭址/稲荷山団地付近より)

【緯度】363222 【経度】1380525
(城山/赤沢城址は小坂山の東の篠ノ井線「城山トンネル」上部の尾根上あたりです。)