葛山(かつらやま/葛山城址)・頼朝山(よりともやま/頼朝山城址)・
 観音山(かんのんやま)
 〜悲惨な落城の歴史を有する山城址〜標高812m(葛山)・638m(頼朝山)・593m(観音山)〜
 長野市の北西方に、ちょっと左に傾斜した台形状の山容を見せる山。他の長野市周辺の里山の多くがそうであるように、この山もまた、戦国時代の山城址。しかも、悲惨な実戦の歴史があり… 武田・上杉の一連の川中島の戦いの過程において、弘治3年(1557年)2月、上杉方の武将・落合備中守が守るこの城は、武田方の馬場美濃守らの包囲攻城によって陥落、城主以下多数の戦死者を出したという。そのためか、頂上付近では今も焼米が出土するとか、敵の武田方に通じた麓の某寺の住職が後に祟られたとかいう話まで伝わっている。
 この山に登るには、長野市街地から飯綱高原に上がる途中の「七曲り」の車道を登りきったへんにある案内板から行くのが最も楽。車で笹峰集落付近の登山口まで乗りつければ、頂上まで徒歩約30分で達することができるが、不便なことに駐車スペースがほとんどない。他に茂菅集落の上の「静松寺」や、「かるかや上人」の伝説で知られる往生地の「往生寺」などからも登路があるが、一定の駐車場所が期待できるのは「静松寺」付近だけで、「往生寺」前も笹峰集落付近の登り口と同様、駐車スペースがきわめて狭いので、利用するには事前に寺の許可を得てからの方が良いかも知れない。
 ちなみに筆者は本文記述時点で「往生寺」のルートをフルにたどったことがあるのは下山時だけで、登りは時間の都合で「郷路山」の崖の上端部あたりまで歩いたことがあるだけだが(注:この「郷路山」とは、その名のごとく、葛山から南東に派生する尾根の末端部のゴロゴロした崖が露出している一角をさす地名で、特に頂上らしき場所もないことから、本項では個別の「山」扱いはしない)、このルートの途中で通過する「観音山」の小丘は、地形図上は全く顕著でないものの、その名のごとく多くの観音像が安置されており、また頂上にはベンチもあって、思索を巡らしながらの軽い森林浴にはもってこいの場所なので、時間的に余裕がない場合のにわか山歩きなどに適しているといえよう。「往生寺」前に駐車できさえすれば、後は観音山の頂上まで30分とはかからない。ただし、そこからさらに葛山まで上がるとすれば、片道プラス1時間くらいはみておいた方がよいだろう。なお観音山へは以前は北東の「しぐれ沢」側からも道が通じていたようだが、残念ながら災害で通行止めになってしまっている。
 もう一つ、葛山の南には標高わずか638mながら、頂上から長野市の展望良好な「頼朝山」の小丘がある。『長野市誌』第12巻資料編の中世城館跡一覧表によれば、ここもまた戦国時代の山城址(頼朝山城址)とのこと。位置的に前述の葛山城の前衛の砦であったものだろう。当然、葛山からの道も通じており、その間の所要時間は徒歩約30〜40分程度なので、両山併せての山行も可能。ちなみに、この山のみに訪れるなら、茂菅集落の上の「静松寺」から行くのがよい。静松寺から頂上まで徒歩約30分。

 ← 葛山を望む(長野市内の裾花川畔より)

【緯度】364015 【経度】1381000
(葛山の南の638mのピークが頼朝山、また往生寺のすぐ上の592.7m三角点付近が観音山です。)