霞城山(かすみじょうやま/霞城址)・離山(はなれやま/大室)
 〜城址の石垣は近世城郭と見紛うほど〜標高400m(霞城山)・360m(離山)〜
 霞城山は長野市内の有名な大室古墳群の近くにある、戦国時代の山城址(霞城址)の山。善光寺平の近辺には別掲の鷲尾城址や鞍骨城址など、山城としてはあまり例のない珍しい石垣ないし石塁を築いている山城址が多いが、ここ霞城山の城址もそのうちのひとつ。しかも、鞍骨や鷲尾のは地形をそのまま利用した、比較的野性的な石積みなのに対し、霞城址のそれは美しく直線的に整形されており、あたかも近世城郭のそれと見紛うほどの見事なもので、筆者など、一見してまさに度肝を抜かれた。ただ、あまりにも見事すぎるがゆえに、近隣の人々には、かえってそれが戦国時代の山城の遺構であるなどと考えてもいなさそうなフシもある。実際、筆者が同城址を訪ねた際に道を尋ねた地元の人は、
 「その昔、景虎(上杉謙信)が来て焼いてったというだに、登ってもそれらしいもんは何もないんですがね」
 と言っていた。要するに城の建物が残ってないという意味かと、その時は解釈したが、後で筆者が下山後にその人にデジカメの画像を見せ、
 「いや、ありがとうございました、すごい城ですよ、こんなに立派な石垣なんて、山城では滅多にお目にかかりませんよ!」
 と興奮してまくし立てても、その人、いささか狐につままれたような面持ちだったので… これは案外、例の石垣があまり立派なもので、近世の猪垣とか植林地の整地用の石垣、あるいはごく最近の治山工事の類程度にしか考えていなかったのではあるまいか?
 そんな有様だから、筆者の訪問時点では特に麓に城址への案内標識もなく、また城址に登っても説明板ひとつなかったのだが… 案外そんな状況だからこそ、今日までかくも良好な状態のままで保たれてきたのかも知れない。とはいえ、これほどの史跡をあたら眠らせておくのも、ある意味大きい損失といえる。すぐ近くの大室古墳群の史跡公園整備が進捗していることもあり、貴重な史跡保全の意味も含め、いずれはこの城と結ぶウォーキングトレイルの整備などをしてみたら面白いのではないかと考える。
 で… この山に登るには、まずは大室集落あたりに車を走らせる。霞城址は大室古墳群のすぐ西に張り出す尾根上にあるが… 残念ながら付近には適当な駐車場所がないので、尾根の末端から300mほど離れた「大室神社」前に駐車し、そこから歩いて訪れるのがよい。大室公民館前を通り、やや東で右の小道に入って尾根に突き当たった所が登り口。右脇に小寺があるが、それは地元の人によれば城主の菩提寺とのこと。そこから雑木林の中を、途中崖下に祀られた石祠を見たりしつつ登ると、ほんの10〜15分ほどで尾根上に飛び出る。例の石垣はそれから左(東)にわずか進んだあたりで出現するが… その見事さを十分堪能した後で冷静に考えると、この城、通常の山城址なら必ず目につく空堀の類がほとんどないのに気付く。もっとも、この尾根筋自体、随所が急崖をなしていて天然の要害である上に、かくも見事な近世城郭ばりの石垣を配置したので、築城者は防備に相当の自信があったことのあらわれであろうか? とはいえ、いかに見事であろうとなかろうと、所詮は人間同士の争いごとのための装置に過ぎず、そう考えると複雑な感も禁じ得ないが… ただ、この城は歴史上、特に目立った実戦は経験していないらしく、その点では比較的気は楽。
 帰りは、そのまま下ってしまうより、折角だから尾根の西の末端まで行って、樹間から展望を楽しむとよい。善光寺平や、その背景の飯縄山や遠く北アルプス後立山連峰などの山々がよく望めるが、すぐ先は今にも崩れ落ちそうな急崖になっているので、あまり縁には近づかないこと。なお、大室神社の裏にぽこっと盛り上がっている小丘は「離山」といい、5分ほどで登れる小丘だが、東屋や御嶽山の石碑がある頂上は展望良好で、霞城址あたりもよく望まれるので、ついでに登ってみるとよい。(注:他所の同様の名称の山と区別するため、見出しには混同を避ける意味で山名の後に所在地名を付して紹介している。
なお、当初は他との区別の便宜上、山名の前に所在地名を冠し「大室離山」として紹介していたが、本来の山名でない呼称が流布するのは好ましくないと思われたため、上記のような紹介方法に改めた。)

 ← 霞城山を望む(大室の離山より)

【緯度】363540 【経度】1381318
(霞城山は大室古墳群の西の尾根上、離山はそのすぐ北西の小丘です。)