唐崎山(からさきやま/唐崎山城址)
 〜有名な「雨宮の渡し」に近い山城址〜標高481m〜
 別掲の天城山から西に延びる尾根の末端近くにある、戦国時代の山城址(唐崎山城址)を有する山。山名は『長野縣町村誌 東信篇』の「雨宮村」の「山」や「古跡」の項から明確だ。(注:「山」の項には「唐崎山」が唯一掲載され、また「古跡」の項中「唐崎山城跡」には「本村の東十餘町字唐崎山頭にあり。」とある。なお土口村側では「朝日山(城)」と呼ばれているようだが、ここでは長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』、新人物往来社刊『日本城郭大系 8 長野・山梨』、郷土出版社刊『定本 北信濃の城』『探訪 信州の古城』、宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』等におけるメインの紹介呼称に従い、「唐崎山」として紹介しておくことにする。)
 登山口は川中島合戦の「鞭声粛々夜川を渡る…」で有名な「雨宮の渡し」のすぐ近くだが、登山口の案内板によれば、唐崎山城自体は特に同合戦には直接の関わりはないようで、実際「雨宮の渡し」にある立派な案内看板にも城名の記載はない。ただ、少なくとも妻女山に布陣した上杉勢が、この城の近くを通って雨宮に達し、千曲川を渡河して川中島に進出したことだけは確かなので、その意味では、この一帯自体、壮大な歴史ドラマの一部をなしていたということはいえる。
 この山に登るには、前述の通り「雨宮の渡し」の近くから登山道があり、城址に登るだけなら所要ほんの20〜30分と、きわめて手軽。登山道入口には招魂社が祀られているほか、唐崎山城址の案内看板や、また同城址経由で別掲の天城山まで達する登山コースの案内板があるので、迷うことはあるまい。城址には筆者が訪れた際には案外標識や説明板の類は見あたらなかったが、それでも郭の形状は明確なので、少し山城の構造に詳しい者なら、すぐそれと判る。周囲の樹林も比較的疎らで、樹間からは飯綱山や長野市街、また千曲市の一重山あたりなどの眺めがよく、さすがは要害の地だと思わせる。三角点は城址の本郭の東のピーク上にあるが、道は尾根の右手にトラバース気味に延びており、頂上を通っていないので注意。なお、城址や三角点頂上までのみでは物足りない向きには、さらに気持ちの良い稜線伝いの道を東へ進めば、「明聖霊神」の祠が祀られている小ピークがあるので、折角だから訪れてみるといい。そこには石祠3基の他、「御嶽山」の石神もいくつか見出せて興味深い。そして、さらに先に進めば、前掲の天城山に達するはずなのだが、筆者の訪問時は積雪期の午後でもあり、そこまで足を延ばす時間がなかった。またいずれ訪れてみたい所だ。

 ← 唐崎山を望む(「雨宮の渡し」付近より)

【緯度】363244 【経度】1380921
(生萱集落のすぐ北の尾根上の481.2m三角点ピークが、本項で紹介する唐崎山です。)