鎌ケ嶽(かまがたけ/鎌ケ嶽城址)
 〜中野市東山の外れの静寂な山域〜標高700m〜
 中野市の通称「東山」の南の外れにある、戦国時代の山城址(鎌ケ嶽城址)の山。
 中野市街地の東には、北から箱山、鴨ケ嶽と、いずれも戦国時代に山城が設けられていた山々が小高く聳え、一見地味ながら無視すべからざる存在感を示しているが、本項で紹介する鎌ケ嶽は、これらの山々から、さらに南に外れた尾根続きの峰。位置的に、一見北の鴨ケ嶽城などと一連の城郭群をなす高梨氏の築造になる山城のようにも思えるが、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、こちらは実は浦野氏の城で、天文22年に甲斐の武田氏に攻略されたとある。もっとも浦野氏は高梨氏の隷下であり、鴨ケ嶽城などとの連携ネットワークが存していたであろうことは容易に想像し得る。この点に関しては『長野縣町村誌 北信篇』中「更科村」の「古跡」の項を参照すると、「鎌ケ嶽城墟」として「本村の東更科山字鎌ケ嶽の嶺上にあり〜(中略)〜言傳に、年暦不詳、浦野氏某代なるか、之を築きしと見ゆ、鎌ケ嶽城と稱し、數代本郡御館城主、高梨氏の幕下にて世襲す、浦野美作守平田宗胤あり、後浦野與五右衛門尉宗實之に居す。永祿二年己未三月、武田晴信高梨氏を攻陷す。尋て本城も陷る以降廢城となり、今民有に屬す。」とある。なお「鎌ケ嶽」の名については「嶺鎌形なるを以て字す」とのこと。
 この山に登るには、東の佐野集落側から整備された遊歩道をたどるのが最短だろう。温泉で有名な湯田中から、夜間瀬川を対岸の穂波温泉側に渡り、前方に見える山稜上にサテライトアンテナの見えるへんを目指してゆけば、そのうち適当に登り口に到達できるだろう。登り口には「鴨ケ嶽林内歩道」の大きい案内看板があるので、まず見落とすことはない。車は登り口のすぐ脇に1台くらいなら駐めることは可能だが、道は狭く、また周囲は果樹園なので、地元の農作業の方々に迷惑をかけないよう配慮が必要。そこからはほんの20〜30分程度も登れば鎌ケ嶽城本郭址の頂上に達するが、この山、中野市民の憩いの場である「東山公園」からは少し離れたところにあるためか、遊歩道が整備されている割には、存外静かな雰囲気を保っている山域と見受けられ… そのせいか、筆者は秋に訪れたところ、道には多少草薮の繁茂がきつかったので、一般には草薮が繁茂していない晩秋から初春にかけての間が訪問適期だろう。頂上には小祠が一基祀られている以外、筆者の訪問時点では案外標識の類もなく、また周囲も樹林に囲まれ展望もない地味な場所だが、その前後には顕著な空堀や郭の遺構がみられ、典型的な中世山城の形状をなしているので、「山登り」にはともかく、少なくとも歴史ファンには興味深い地ではある。
 なお、帰りは折角だからすぐ近くの湯田中温泉などに立ち寄り、汗を流していくのも一興だろう。

 ← 鎌ケ嶽(右端)と鴨ケ嶽方面を望む(西側山麓より)

【緯度】364400 【経度】1382342
(更科峠のすぐ北の700m等高線のある峰が、本項で紹介する鎌ケ嶽です。)