五里ヶ峰(ごりがみね)・葛尾山(かつらおやま/葛尾城址)
 〜低山ながら展望良好の山々〜標高1,094m(五里ケ峰)・810m(葛尾山)〜
 埴科郡坂城町の北、千曲市戸倉の東に位置する山々。両山とも低山ながら展望良好。ことに五里ヶ峰に関しては、以前『我が遍歴の信州百名山』の著者である故・清水栄一氏から山のお話をお伺いした際、彼が「坂城の五里ヶ峰に登ったことはないですか、あれは良い山ですよ」と強調されていたことが、今もなお筆者には鮮烈な印象として思い出される。
 また、五里ヶ峰の南に連なる尾根上にある葛尾山には、戦国時代、地元の英傑・村上義清の居城「葛尾(かつらお)城」があったことで有名。村上義清は、天文17年(1548年)の上田原の戦いや、天文19年(1550年)の有名な「戸石崩れ」の戦いにおいて、武田信玄を破った唯一の武将として知られ、葛尾城はその村上氏の本拠として、武田方に対して睨みをきかせていたが、その後の武田方の計略により、天文20年(1551年)5月には難攻不落を誇った戸石城が落ち、また天文22年(1553年)4月には葛尾城と目と鼻の先の狐落城が落ちるに及び、さしもの村上義清もついに力尽き、その月のうちに葛尾城は戦わずして落城するに至った。かくて村上氏は越後の上杉謙信のもとへ走り、ここに以後10年以上に及ぶ甲越両軍の「川中島の戦い」が幕を開けることになる。
 葛尾山では戦国の歴史に思いをはせ、そして五里ヶ峰頂上では眼下の千曲川の流れをはじめ周囲の素晴らしい展望を楽しめる、手軽でいて充実度の高い、まさに珠玉のような好エリアといえる。登山ルートは、埴科郡坂城町の坂城神社近くの登山口から、葛尾城址(葛尾山)経由で約2時間弱。登り出してしばらくすると「近道コース」と「姫城跡コース」が分かれるが、どちらをとっても時間的には大差はないようだ。

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【緯度】362910 【経度】1381032
(緯度・経度は五里ヶ峰に合わせてあります。葛尾山はその南に位置しています。)