上ノ山(うえのやま/殿山城址)
 〜北の尾根上に戦国時代の山城址あり〜標高841m〜
 現在は安曇野市になった、旧豊科町にある山。この山のすぐ東が「豊科ゴルフ場」になっているせいもあり、通常、登山の対象としては見向きもされなさそうな山だが、それでも逆に西側の田沢付近から仰げば、結構な急斜面をもって立ちはだかり、まさにそのあたりの「上の山」といった感じで相応に見応えもある。それだけに当然のごとく、この山にもまた戦国時代に山城が築かれていた。北側の尾根上にある「殿山城址」がそれで(注:別称「上ノ山城址」。本項では当初「上ノ山城址」の名で紹介していたが、同じ中信エリアで塩尻市に同名の山城址があるので、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の掲載城名に従い「殿山城址」に改めた。とはいえ、現地案内標識は筆者訪問時点では「上ノ山城」の名となっていたので、訪問に際しては留意されたい。)、小穴芳美氏編『信濃の山城』(郷土出版社刊)等によれば、近くの光城山(別掲)にあった光城の出城とのことだが、特に目立った実戦記録はないらしく、おそらくはこの地方への甲斐の武田氏の侵攻に際し、近隣の多くの城と同様に籠城し、落城あるいは開城していったものらしい。また、郭の遺構はかなり顕著だが、出城だけに規模はさほど大きくなく、そのせいか、筆者が信州の山城址の山を巡る際にバイブルのように用いている、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)にも、本城に関する記事は省略されたか全く掲載されていない。
 この山へのアプローチは容易で、田沢付近で国道19号線から分れて旧四賀村方面に向かう途中で右(南)へ、前述の「豊科ゴルフ場」への道に入れば、実際、楽に頂上直下まで達してしまう。そして「No.11」の送電線鉄塔への巡視路をたどれば、三角点のある頂上まで10分とはかかるまいが、それでも周囲の大展望とか、何か大きい魅力のある頂上ならともかく、この山の頂上にあるのは、こともあろうに配水池施設(!)。しかも周囲は樹林に囲まれ展望もほとんど利かず、わずかに頂上らしさを思わせてくれるのは三角点標石だけだという始末。いくらなんでも、これでは全く「山歩き」にならないので、ここはやはり前述の「殿山城址」をコース中に必ず組み入れて歩くべきだろう。同城址への入口は、上ノ山の北で車道が大きく左にカーブしている地点に「豊科町指定史跡 上ノ山城跡」の白い標柱があるので、すぐに判る。脇には車1台くらいなら何とか駐車できるスペースもあるので、ここから登ってみよう。まずは階段を上がり、さらに樹林の中の薄暗い道をたどると、ほどなく前述の通り小規模ながら明瞭な郭の遺構が眼前に姿を現す。付近を見物した後、次いで城址の背後の急斜面を上がると、一旦平になった所には山の神らしき木製の小祠が安置されている。そのすぐ先(南)では急に尾根が幅広に断ち切られており、さては城址の空堀の遺構かと思いきや、行ってみれば何と正体は作業道。拍子抜けしつつ、それを横切ると、後は広い道が頂上まで続いている。駐車場所から城址経由で頂上までの所要時間は、片道ほんの30分ほど。帰りは元来た道を戻っても、又は前述の送電線巡視路を下り、後は車道をゴルフ場沿いに歩いて駐車場所に戻ってもよい。

 ← 上ノ山を望む(上ノ山城本郭址は頂上の左手の窪んでいるあたり/山麓の犀川左岸堤防上より)

【緯度】361756 【経度】1375652