城山(じょうやま/稲倉城址)・1,118m峰
 〜美しい三角錐状の峰が目立つ山域〜標高1,000m(城山/稲倉城址)・1,118m(1,118m峰)〜
 松本市街地から国道254号を三才山へと向かう途中の、稲倉(しなぐら)集落の北にある山々。
 「城山」は、その名の通り戦国時代の山城址(稲倉城址)の山で、山麓の稲倉集落付近から望むと、結構美しい三角錐状の容姿を見せてくれる、気になる山。南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、天文19年(1550年)、甲斐の武田氏の侵攻に小笠原氏の本拠林城はじめ、桐原城や中入城(いずれも別掲)の属城群が総崩れ状態で自落した際、小笠原氏配下の稲倉城もまた早々に武田の軍門に降ったという。
 登るには、前述の通り松本市街地から国道254号を三才山へと向かう途中の稲倉集落から北へ、「稲倉峠」方面への車道に入る。しばらく上がると登り口に達するが、そこには綺麗な城址の概念図が描かれた案内板があり、また、十分な広さの駐車スペースもあるので、余程のことがない限り見落とすことはないだろう。また先の案内板によれば、登り道は稲倉城址の「三の郭」に登る右ルートと、「本郭」と「二の郭」の間のあたりに登る左ルートがあるが、筆者の場合は諸般の事情から、たまたま往路・復路とも後者をとることになった。ともあれ登山道はよく整備されており、急傾斜の割に歩き易く、ほんの30分ほども登れば本郭址の平に到達できる。そこでは右手(南西)に二の郭との境の空堀、また左手(北東)の本郭側には小規模ながら段郭の遺構が明瞭だが、ただ、そこはあくまで尾根上の開削地に過ぎず、麓から見て三角錐の頂点すなわち「城山」頂上にあたるのは、実は本郭ではなく三の郭のピークの方なので注意。その三の郭は二の郭のすぐ先にあり、本郭からは10分とはかからない。
 なお、この城山のさらに先(北東)には、城山よりも一段高く聳えている地形図上1,118m標高点のピークがある。こちらは本文記述時点で残念ながら山名不詳だが(注:登頂後、何人もの地元の人々に聞き込み調査を行ったのだが、皆一様に「城山」の名は知っていても、その奥にある1,118mの峰の名は知らないと返答した上、『長野縣町村誌 南信篇』の「岡本村」や「刈谷原村」の項にも記述がないので、おそらく本当に無名の峰なのだろう)、結構堂々たる峰ゆえ、ついつい登ってみたくなるもの。稲倉城本郭址の段郭と深い空堀を過ぎ、さらに露岩もある急な尾根を登りつめ、頂稜に飛び出たら右にわずかで頂上に達する。そこにはむろん標識の類など一切なく、わずかに木柱が1本立っているのみだが、その木柱も既に朽ちかけていて表面に文字らしいものは一切判読できず、意味不明。ところで、この峰のすぐ東の直下には、筆者が見る限り、どうも人工的に開削されたとしか思えない平地がある。稲倉城址の登り口や本郭址の案内板には何も書かれていないが、案外同城の遠見の番所か後詰めの隠小屋でもおかれていたのかも知れない。むろん、現時点で手元にある文献中には何らの記載もないので、単なる筆者の思い込みに過ぎないのかも知れないが…

 ← 稲倉城址の城山(右手前)を望む(左奥は1,118m峰/山麓の稲倉集落付近より)

【緯度】361753 【経度】1380012
(1,118m標高点の峰の南西約500mの小ピークが城山/稲倉城址の三の郭です。)