大城(おおじょう/日岐大城址)
 〜攻めるも守るも命がけ?の急峻な山城址〜標高980m〜
 別掲の京ケ倉のすぐ北に連なる、戦国時代の山城址(日岐大城址)の山。一般には大城山ともいうが、ここでは国土地理院の地形図の表記に従い「大城」としておく。ただ、地形図上では919.2m三角点のある地点を大城と表示しており、三省堂『日本山名事典』でもそちらの標高を記載しているが、三角点必ずしも最高点にあらず。実際に現地に訪れてみると、日岐大城の本郭址は三角点地点より600mほど南にあり、標高的にも980mと高いことから、真の頂上はそちらと考えるべきであろう。なお、別掲の京ケ倉と良く似た急峻な岩峰で、見るからに攻めるに難い要害の地ではあるが… あまりに急峻すぎて、殊更に空堀などの防御施設を設ける必要もなかった代り(注:実際、特に顕著な人工的な遺構は認められない)、山城としては守る側としても使い勝手はさほど良くはなかったのではないか。
 この山に登るには、西麓の下生坂区から道があるが、急峻な外見から受けるイメージとは裏腹に、いざ登り始めてみると、意外と歩き易くて安全な道であるのに驚かされる。それも現地の案内看板によれば、主稜線上の「はぎの尾峠」越えの道は、昭和40年まで入山の生徒が生坂の学校への通学路に用いた道であったというので(!)、その当時はおそらく通学生徒の安全を願う地元の人々によって念入りに手入れされていた道であったのだろうと容易に想像がつく。それにしても… 今の児童生徒たちに、ここを毎日通って学校に通うほどのパワーが果たしてあるだろうか?
 「はぎの尾峠」からは右すなわち南へ、例の三角点地点や、かつて大城の番兵が見張りをしたという「物見岩」を経て、頂上の日岐大城本郭址に達する。その間の道も、稜線上を外さない限りは見た目ほどには危険でないが、さすがに「物見岩」を過ぎるあたりからは、次第に両側に切れ落ちる急峻な岩壁の迫力に圧倒され、頂上直下ではロープのある急登もあり、結構スリルを味わえる。登り口から頂上までの所要時間は1時間半ほど。

 ← 大城を望む(山麓の下生坂より)

【緯度】362610 【経度】1375707
(真の頂上は三角点地点ではなく、それより南、京ケ倉の北約300mのピークです。)