城山(じょうやま/西山城址)
 〜仁科氏直轄領の南の固めを担った山城址〜標高870m〜
 大町市と北安曇の松川村との境にある、戦国時代の山城址(西山城址)の山。別掲の雨引山の北東、「塩の道」として知られる千国街道のすぐ西脇にあり、その位置関係からして、同山の上に築かれた山城は、かつて大町地方に君臨した仁科氏の直轄領の南の固めとして重要な位置を占めていたことが容易に想像される。特に、天文20年(1,551年)頃からの甲斐の武田氏の北安曇侵攻に際し、この城の存在意義はますます重要の度を加えたと思われるが、その割には仁科氏が早々に武田の軍門に降ったせいか、特に目立った実戦歴もない模様。ただ、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)等の文献によれば、この山城の主は仁科氏配下の矢ノ口筑前で、天正9年(1581年)に高遠城に移ったといい(注:この翌年、高遠城は織田氏の武田追討の大軍を迎え撃ち奮戦したが、衆寡敵せず落城し、守将の仁科盛信以下ほとんどの将兵が悲壮な最期を遂げた!)、仁科氏の滅亡後はその使命を終え、廃城になったとされる。
 この山に登るには、高瀬川の西の幹線車道を大糸線に沿って大町市と松川村との境付近まで行き、大糸線の「安曇沓掛」駅付近で西に折れる道に入れば、その道の突き当たりの少し左の尾根の末端が西山城址への登り口になっている。入口には大きい標識もあるので、まず見逃すことはないだろうが、駐車スペースはきわめて狭いので留意のこと。ここから頂上までの所要時間は存外短く、途中、「いもり池」(往時の城の「水の手」か?)への分岐点〜三の郭(「天恵松」なる太い松や「三峯社」の祠、島木赤彦先生の歌碑等あり)〜二の郭(北安曇郡歌の歌碑等あり/なお、この郭の背後の空堀の深さには驚嘆させられる)〜「鐙掛松」(枝振りに特徴のある松だが、残念ながら枯死状態)〜と経て、頂上の一の郭(「城山神社」社殿等あり)まで、「西山城址保存会」により大変良く整備された道を、ほんの30〜40分程度で難なく達する。頂上からの展望は北東方向の一部を除き、樹林に遮られて今ひとつの頂だが、その代わり、全般的に切岸や空堀など、城址の遺構は今もなお明瞭に残されており、なかなか興味深いエリアだ。「山」としてはいささか物足りないかも知れないが、それでも時間がない時の特急訪問先としては結構重宝するだろうし、また少しでも歴史に興味のある向きには、城址の遺構見学だけで十分充実した時を過ごすことができるので、もっと注目されていい山だと思う。

 ← 西山城址の城山を望む(松川村側の山麓より)

【緯度】362644 【経度】1374951