小岩嶽(こいわだけ/小岩嶽城址)
 〜壮絶な落城の歴史を今に伝える〜標高840m〜
 今は安曇野市になった旧穂高町にある、戦国時代の山城址(小岩嶽城址)の山。単に「城山」と呼ばれる場合もあるようだが、それでは味がないので、ここでは城址名と同様の「小岩嶽」で紹介する。実際、この呼称くらい、随所に花崗岩の露出が奇岩を呈し、独特の景観を形作っているこの山の特徴を端的に表現する呼称はないと思う。
 そんな状況がまた、この山をして、中世の山城の構築には絶好の要害の地としたものであろう。天文21年(1552年)8月初め、飛ぶ鳥を落とす勢いの甲斐の武田信玄の侵攻に際し、小岩嶽城では城主・仁科盛親以下500余の城兵が一丸となって決死の覚悟で迎撃に臨んだのは、ひとえに彼らが拠る城の防備に相応の自信があったことの証左といえよう。が… その戦いの結末は例によって衆寡敵せず、同月半ばにはあえなく落城、城主以下ほとんど全員無念の戦死を遂げたものらしい。
 そんな壮絶な実戦歴を有する山城址だが、「山」としては別掲の富士尾山の前衛的位置を占め、今ひとつ山容が目立って仰がれることもないせいか、案外名を聞くこともない不遇な存在。この山に登るには、まずは旧穂高町の「アートヒルズ」あたりに車を走らせ、「小岩嶽城址公園」を探せばよい。そこが登り口で、駐車場もある。登山道は公園を基点に左右2本あり、頂上で合するので、周回ルートをとることができるのが嬉しい。筆者の場合は、左(南東)の尾根から登り、右(東)の尾根を下ったが、これだと山腹の本郭(館)址に最後に到達する形になる。どちらから登っても一長一短だろうから、いずれを採るかは個々人の好みによるだろうが、以下は筆者の登行ルートに従い記述する。
 まずは矢竹の繁茂する中を上方に見える櫓を模した展望台目指して登り、さらに展望台の裏手の山稜を踏跡に従い上がっていくと、そのうち花崗岩の露岩が現れ始め、じきベンチのある明るい露岩の地点に出る。そこは美ヶ原や鉢伏山方面などの展望が良く、往時は物見所として利用されていたに違いない。もっとも露岩はそれより上部にも連続しており、自然の造形にしては実に絶妙な「虎口」の体をなしていることに少なからず驚愕させられるだろう。三角点地点を過ぎ、さらにひとしきり登ると頂上に達するが、この前後では、どうもこの山が茸山のせいか、有刺鉄線の柵が両側から迫っている箇所があるので、衣服を引っ掛けないよう注意が必要。頂上はあまり広くない二つの郭のある、いかにも後詰の砦といった雰囲気の場所で、樹林に遮られて東方の一部を除いては展望はあまり良くない。
 下りもまたしばらくの間は有刺鉄線に注意しつつ、急傾斜を足を滑らせないよう慎重に高度を下げていくと、やがて館があったという結構規模の大きい本郭址に下りつく。一般に「小岩嶽城址」という場合は、この館址周辺のことをさし、後詰の砦であった小岩嶽の頂上まで訪れる者はきわめて少ないようだ。以上、周回に要する所要時間は、城址の遺構をしっかり見学しながら歩けば約2時間といったところ。本郭址には神社が祀られているほか、片隅には小岩嶽城の戦没者供養塔がひっそりと立ち、今も地元の人々の供養を受け続けている。

 ← 小岩嶽登り口(城址公園にある城門を模した門、背後に小岩嶽)

【緯度】362121 【経度】1374943
(小岩嶽の山名表示がないですが、751.3m三角点の北西約400mの峰がそれです。)