城山(じょうやま/鷹巣根城址)
 〜甲斐の武田の猛攻に衆寡敵せず陥落〜標高897m〜
 安曇野市の旧豊科町方面から松本市の旧四賀村方面に車で向かう際、両市境を越えたすぐ先で通過する「刈谷原トンネル」のほぼ直上に位置する、戦国時代の山城址の山(鷹巣根城址/「刈屋原城址」と呼ばれる場合もある)。
 この城、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、小笠原長時が林城から逃亡した3年後の天文22年、甲斐の武田信玄が村上義清の本拠に最後の襲撃をかけるべく進軍した際、まずその矢面に立ち、小笠原系の太田資忠以下の城兵が果敢に防戦を挑んだといわれている。武田方にとってみれば、保福寺峠から上田原方面に出ようとする場合、この城はどうしても抜かねばならぬ位置関係にあり、この点、今も昔も交通の要衝的地位を占めている山といえそうだが、肝心の戦の成り行きはどうかといえば、やはり御多分にもれず多勢に無勢、武田の攻撃開始後わずか3日で陥落、城主は生け捕られたとのこと。いずれにせよ壮絶な実戦場であったことは確かであるが。
 然るに、この山に登るには、筆者の訪問時点では特にはっきりした道も道標もなく、壮絶な実戦歴を有する地にしては、意外なほどに人気のない静寂な場所であった。それで筆者の場合、刈谷原トンネルの豊科側の入口手前から左に入る車道を、同山のほぼ真西の峠まで上がり、そこから同山側に向けて延びる細い林内作業道をたどって、最後は南の稜線の踏跡伝いに登頂したが、下山後に地元の人に聞いたところでは、筆者のたどったルートよりは、東山麓の刈谷原町から、同山の南東に派生する尾根の末端あたりに延びる車道を上がり、尾根に直接取り付いて登るのが順路のようだ。ちなみに筆者の場合、真西の峠から頂上までは徒歩片道1時間弱を要したが、むしろ南東の尾根から登る方が、地形図上の距離的に若干楽であるように見受ける。それに、筆者のたどったルートは、峠からしばらくの間は林内作業道の両側が茸止山である上、違反入山者の罰金額が何十万とか何百万とか異常に高額ゆえ、時季を選ばないと無用な紛争に巻き込まれる恐れなきにしもあらず。それゆえ、もし縁あって本文を目にされ、これから同山に訪問されたいという向きには、極力筆者がたどったルートは避けて頂きたく、またあえてそのルートを選択される場合には、くれぐれも十分注意されたい。特に
道の両側の山林内には絶対に立ち入らないこと。もしこの禁を破り、とてつもない罰金を科されても、筆者としては一切責任を負うことはできない。
 なお、頂上の本丸址には「鷹巣根城跡 四賀村教育委員会」と記した木柱が1本と、石祠が1基、それに四等三角点標石が据えられており、周辺には堀割の遺構などがみられるが、城としてはさほど大規模なものではなかったようだ。

 ← 鷹巣根城址の城山を望む(山麓の刈谷原集落付近より)

【緯度】361858 【経度】1375856