唐鳥屋(からとや/唐鳥屋城址)
 〜旧善光寺街道の要衝・立峠の東に屹立〜標高1,079m〜
 筑北村に通じる国道403号線を、旧坂北村から旧本城村側に向けて南下していくと、そのうち前方に、頂上部分が何やら意味あり気に、きれいに伐り払われている峰が目につく。見るからに、戦国時代に山城でもあった所ではないかと想像される通り、そこはかつて「唐鳥屋城」とか「乱橋城」と呼ばれた山城があった場所。このすぐ西にある旧善光寺街道の要衝「立峠」の案内看板の記述によれば、同城はかつて木曽義仲の四天王の一人であった海野氏の一族の藤沢氏が築いたもので、天文年間に小笠原氏の攻撃に遭い落城したという。
 それにしても、一般的な山城址に比べ、えらくきれいに頂上周辺が伐り払われているので、地元の人に聞いてみると、やはりつい最近、有志で作業したとのこと。もっとも、その峰の山名を尋ねても、皆一様に首をひねり、普通「唐鳥屋」とか「唐鳥屋城」と呼んでいるが、それ以外の呼称は知らないとのことだったので、ここでは地元の人達の言を尊重し「唐鳥屋」の名で紹介する。(注:なお「唐鳥屋」の読み方については、筆者自身が地元で確認した限りでは「からとや」とのことであったが、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第5集 改訂松塩筑資料編』(長野日報社刊)には「からとりや」とあり、今一つ確信が持てないものがある。当面は筆者自身の地元確認結果により「からとや」としておくが、後日、状況により修正する場合もありうることを付記しておきたい。)
 この山へは、前述の「立峠」経由で登るので、北の旧本城村側からも、また南の旧四賀村(現:松本市)側からも登れるが、筆者は北の旧本城村の乱橋集落から訪れてみた。そのあたりに行けば、立峠方面への標識が出てくるので、それに従って行けば、「立峠の石畳道」の標識のあるへんまでは普通車でも上がれる。適当な所に駐車し、後は件の石畳道を徒歩でしばらくたどり、やがて石畳が尽きた先で、お地蔵様が1体安置された「地蔵原」を右手に見ると、ほどなく昔の茶屋跡という立峠に着く。ここは背後に聖山方面の眺めがよく開け、明るい雰囲気の、まさに往時の善光寺街道の要衝らしい場所。唐鳥屋城址はここから標識に従い左(東)へ稜線伝いに500mほどたどると到着する。
 頂上の城址は、下からも見える通り、きれいに伐り払われ展望良好。北に先の聖山方面、東に筑北の知る人ぞ知る名峰・大洞山方面、またすぐ南には会田の名峰・虚空蔵山が屏風のごとく立ちはだかり、さらに南西方面には遠く松本平の一角まで… といった具合、さすがは要衝の護りらしく、素晴らしい眺望を楽しめる。駐車場所からの往復所要時間は、ノンビリ歩いても1時間半程度みておけばよい。

 ← 唐鳥屋を望む(山麓の乱橋集落付近より)

【緯度】362218 【経度】1380023
(立峠の東、約500mの地点にある1,079m標高点ピークが唐鳥屋城址です。)