富士塚山(ふじつかやま)
 〜旧四賀村時代の名残濃き素朴な里山〜標高931m〜
 今は平成の市町村合併により松本市となった、旧四賀村にある山。旧四賀村から保福寺峠方面への車道を通行する際、山麓の赤怒田付近で左手(北)に、頂上にアンテナの立ち、小さいながら何となく目立つ山がそれ。
 この山に登るには、まず前述の赤怒田付近の小瀬集落にある「錦織神社」の鳥居をくぐる。鳥居の手前のスペースに車を置かせてもらい、そこから途中「金毘羅大権現」の祠などを見つつ、まずは錦織神社の社殿前まで上がる。ちなみに鳥居付近の「由来記」によれば、この社殿は「里宮」にあたり、奥社は富士塚山頂上の石祠がそれのようだ。なお、鳥居から社殿前までは、細い道ながら一応コンクリート舗装されているので、小型の四輪駆動車なら何とか上がれるだろうが、かなりの急傾斜で身に危険をおぼえるほどなので、一般には鳥居から先に車で上がるのはやめた方がよかろう。(注:少なくとも筆者の低馬力のFF車では歯が立たなかった。)
 もっとも、鳥居から歩いても、さほどの時間も体力も要しない。道はさらに社殿の裏手の白洲のような稜線を登り、両側に旗立石があるへんから左の樹林をトラバース気味に進むと、そのうち広い道に出る。ここまで来れば頂上は目と鼻の先で、最後に右にカーブして直上すると、麓からもよく目立つアンテナが立つ頂上に達する。ここまで鳥居からの所要時間は、ゆっくり登っても片道1時間弱。なお頂上直下の左の道脇には、四賀村で設置した「富士塚桜公園」の石碑があり、隣に「碑文」を記した石碑もあるが、それによれば平成4年度に村おこし事業の記念として付近を公園として整備したとのこと。もっとも、これを設置した四賀村は、皮肉にも既に松本市に合併消滅してしまっているが…
 頂上には、「御嶽神社」の石碑や、また前述の錦織神社の奥宮の石祠などがある。ちなみにこの祠は、登り口の鳥居付近の「由来記」によれば、昭和62年に山火事で錦織神社奥宮の社殿と拝殿を焼失したことにより、翌年に石祠として再建したものという。頂上からの展望は良く、西に北アルプス常念山脈あたりの山並み、また南東に戸谷峰などの眺めが良い。

 ← 富士塚山を望む(旧四賀村の赤怒田付近より)

【緯度】361924 【経度】1380018
(小瀬集落の北の931m標高点の神社記号のある峰が、本項で紹介する富士塚山です。)