山行記録帳(2022)@
〜Yamazaki's Photo Diary 2022,@〜


 【山行・自然観察リスト】
 2022年最初の山〜皆神山  疲れた心身を癒しに〜三峯山
 さらなる「癒し」を求め〜聖山  今回は「自然観察」として〜聖山
 涼を求めて再訪〜三峯山  日本で一番低い山(!)〜仙台市宮城野区の日和山
 ドライブのついでに訪問〜糠塚山  脚力回復の訓練に〜平尾富士(の南東の峰)
 脚力回復訓練第2弾〜三登山  現状が気になって〜大峰山(大峰城址)
 気分直しに〜紅葉の岩屋と安堵ヶ峰  物足りなさの払拭に〜妻女山(斎場山)
 脚力回復訓練第3弾〜千曲市の有明山  脚力回復訓練第4弾〜和田峠近くの三峰山


 2022年最初の山〜皆神山
 1/1、例によって毎年元旦恒例の「皆神山」に訪問。
 この山への「新年初の山」としての訪問も、もう連続10年余となるので、最近では本山行記録帳へのコメント内容にも事欠く有様だが… あえて記せば、今年の場合、年末年始にかけての大雪ゆえに、皆神山上まで安全に上がれるかどうか心配したが、実際に昼過ぎに訪れてみると道はしっかり除雪されており、特に危険もなく訪問できた。
 また、今年も昨年同様、天皇・皇后両陛下のビデオメッセージが早朝に公開され、皆神山訪問に先立って両陛下のおことばを拝聴できたことも、私にとっては新年に相応しく心洗われる思いがした次第であり(殊に、雅子皇后陛下のおことばは、昨年より若干長めであったように感じられ、そのことも一国民として大変嬉しく)、それゆえ、いざ皆神神社の社前に立つ私の胸中には、昨年同様、将来への希望が感じられた一時であった。もっとも、巷の新型コロナ禍は相変わらずとあって、併せてその収束を願わざるを得なかったのは言うまでもない。
 どうか今年こそは、新形コロナ禍をはじめとする、社会に停滞する釈然としない諸々の事象の解消に向けた一大契機たらんことを、そして、令和の御代の弥栄ならんことを…







 疲れた心身を癒しに〜三峯山
 今年は、1/1に例年同様「皆神山」に訪問し、また上記のような記録を記して、心機一転、良い年にしようと思っていたのだが…
 それからわずか10日ほどの後、はからずも私や家族にとって、思いがけない変事が出来した。(「変事」の内容については、まだ私自身の気持ちの整理が完全についておらず、今は記す気になれないので御容赦の程を…) 爾後、当分の間はその後処理に文字通り奔走し、3月中旬過ぎ頃になって、ようやく一段落がついたと思ったら…
 それまで気が張りつめていたのが、にわかに弛緩した反動か、突然、ひどい右膝痛に見舞われ、まともに歩くことすらままならなくなってしまったのだ。(最近の私は、かねて腰痛・膝痛を抱えていたが、今回のは、それまで経験したことがないような痛みだった。) 以来、仕事の通勤で駐車場から職場までの短距離歩行ですら、よちよち歩きが精一杯、痛みに冷や汗がにじむほどの有様で… 先の変事でただでさえ沈む気持ちに、なお拍車をかけるような事態に陥ってしまった。
 当然、その間は山歩きなど到底考えられず、内心では先の変事の衝撃に加え、これでいよいよ私の「山」もお終いか… などと少なからざる悲観を抱きつつ、一方では職場において平静を装わざるを得ない、といった心身のねじれた日々が数か月も続き、一時は本当にこのまま頭がおかしくなってしまうのではないか、とすら思ったが… 6月も下旬くらいになると、幸い、徐々に症状が軽快してきた。
 そこで、家庭生活でも、階段をスクワット式に上がる訓練を試みるなど、少しずつリハビリに努め… 7/9、久々に「山」の雰囲気に少しでも触れてみたいという気分が戻ってきたのを機に、近くて手頃な「三峯山」に訪れてみることにした。
 この山、聖高原から、きわめて短時間で登れる山ゆえ、以前はここへの訪問は「ちょっと寄り道」程度の感慨しかなかったものだが、今回のような境遇になってみると、そんな山ですら一抹の不安を禁じ得ず。しかし、一歩踏み出してみると… 何のことはない、下界で建物の階段を上り下りするより余程楽に感じられ、歩くほどに事前の不安が次第に解消していくのを覚えた。とはいえ、安心し過ぎて、また怪我でもしては堪らないので、ゆっくり、慎重に、はや数年ぶりとなる頂上に立つと… そこでは、以前、幾度となく訪れた際とほぼ変わりない明るい情景が私を出迎えてくれ… その爽快さは、変事出来以来、はや半年もの間、我が胸中に渦巻き続けていた「澱」を、全てとはいわないまでも、相当程度洗い流してくれたように感じられた。







 さらなる「癒し」を求め〜聖山
 三峯山で、久々に爽快な「山」の気分を味わえ、気分も多少ポジティブなものに転換できたせいか、翌7/10、前日に引き続き、また「山」の雰囲気に接してみたくなった。もっとも、あまり無理して、それまでのリハビリ努力を無に帰したくないので… 今回は前日の三峯山よりさらに楽な「聖山」に訪れてみることにした。
 この山の場合、本当に頂上のすぐ下まで車で上がれるので、厳密には「山登り」ともいえないだろうが… しかし、今の私のような者にとっては、正に重宝な山の一つなのだ。それにしても私自身、この山を心底から有難い存在だと感じられる日が、こう早く訪れるとは、ほんの数年前までは思ってもみなかったが…
 それはともかく、いざ訪れてみると、位置的に前日の三峯山に近いこともあり、周囲の眺望は前日の印象とさほど変わらなったが、こちらは三峯山よりも頂上周辺に舞う蝶の種類が多様で、その分「自然観察」的な興味も、久々に呼び戻されてくるような感覚を覚えた。そういえばこの山、私が蝶に惹かれ始めた初期の頃、幾度となく蝶目当てに訪れたものだった。もっとも、普段は特に希少種に多く出逢える山というわけでもないので、ある程度状況が判ってからは、そういう目的での訪問は減っていたが… それでも今回、ある意味「初心」を思い出せたことで、前日に加え、また別な意味で心身がリフレッシュできたように感じられた次第。







 今回は「自然観察」として〜聖山
 7/24、先の訪問から二週間後、また例によって少し「山」の雰囲気を味わいたくなり、聖山に再訪。
 もっとも、今回は頂上に立つことよりは、蝶を中心とした自然観察の方を主な目的としての訪問だったが、狙い通り、そこそこ多くの種類の蝶達に出逢うことができた。アサギマダラ、キアゲハ、ウラギンヒョウモン、オオウラギンヒョウモン、ミドリヒョウモン、ベニシジミ…
 まあ、いずれも、さして珍しい種というわけではないのだが… それでも、若いころのごとく思うように野山を駆け回ることが難しい我が現状では、十分、心身の保養に資する一時ではあった。
 本当に、早く、以前のように、普通に山を歩ける身体に戻りたいものだが…







 涼を求めて再訪〜三峯山
 今年は、年始からほどなく、きわめて慌しい日々を過ごさざるを得ない境遇に陥ってしまった上、今までにないような膝の故障も加わるという不運が重なって… 大して山にも行けないまま時は過ぎ、ふと気がつけば、はや8月。
 本来なら盛夏で、いい山登りシーズンというべきなのだろうが… いざフタをあけてみると、今年の夏は、昨冬の寒さが厳しかったことの反動か、やたらと暑く感じられ… こうなると、当分「山」らしい山から遠ざかってしまった、今の私のなまった身体には、どうもあえて外に出て汗をかくのが億劫になりがちだ。しかし、8/7、あまりの暑さゆえ、ついに、せめて一時だけでも山上に「涼」を求めたく… 特に目的地も定めないまま、車で家を出た。
 そして、何となく南に車を走らせるうち、やがて自然と行先を定めたのは、今年二度目となる「三峯山」。「涼」を求めたい以上、頂上まであまり汗をかくようでは本末転倒なので… 頂上までさほど時間を要しないこの山などは、今回のような場合には正しくうってつけではなかろうか。
 そして、期待通り、頂上では下界より余程涼しい一時を過ごすことができた。なお、頂上周辺の情景自体は先日の訪問時と大同小異だったが… ふと近くの草上に静止したキアゲハを見ると、先日よりは大分、翅が痛み加減のようで… 妙なところで「時の流れ」を実感させられた次第。






 日本で一番低い山(!)〜仙台市宮城野区の日和山
 8/11、東北地方の大学に進学している次男の夏休み帰省を迎えに行くついでに、かねて気になっていた仙台市宮城野区の「日和山」に立ち寄ってみた。
 この山、実はあることにより全国的に有名で、ひそかな人気を集めている「山」なのだ。しかも、身体に故障を抱えている、私のような者にも実に気軽に立ち寄れるという…! 以下、参考までに現地案内看板の文言を備忘の意味も含めて引用掲載してみよう。
 「日本一低い山『日和山(ひよりやま)』
 日和山は標高3.0m、平成26年(西暦2014年)4月に国土地理院の調査により、『日本一低い山』として広く知られるようになりました。
 かつては、標高6.05m、南北に40m、東西に20mあり、海側の眺めが良く、初日の出の名所として知られ、隣接する『蒲生干潟(がもうひがた)』とともに野鳥観察や遠足などに多くの方々が訪れました。毎年7月1日には日本一高い富士山の山開きに合わせて『日和山の山開き』が行われるなど、地域に親しまれ、守られてきました。
 その始まりは、明治42年に地元民を中心に築山された人工の山と言われており、海を観察(日和見)することと、海側からの目印にすることを目的に築かれたとされていますが、他にも寛文年間(江戸時代)に御舟入堀(おふないりぼり、今の貞山運河)を開削した際に土砂が盛られたとか、大正時代に養魚場を開設する際に土砂が盛られたなど諸説あります。
 平成3年(西暦1991年)に国土地理院の調査において『日本一低い山』となりましたが、その後、平成9年(西暦1997年)に天保山(大阪市)に一位の座を譲りました。
 しかし平成23年(西暦2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による地盤沈下や津波による浸食などの影響を受けて、再び『日本一低い山』になりました。震災から10年が過ぎ、多くの方々が再び訪れるようになってきましたが、これからは『震災の爪痕を後世に伝える』という大切な役割も果たす山でもあります。
 今和3年3月 なかの伝承の丘保存会一同」
 上記案内文にあるとおり、この山の名が海の観察(日和見)に由来するとすれば、私が以前(2018年)訪れたことのある新潟市にある同じ名前の山(そちらは標高12.3m(!))と同様の場所ということになる。立地的に自然だが、それゆえ津波の影響をもろに受けてしまったわけだ。ただ、そのお陰で「日本一」に返り咲いたとは… 私のような外部者には、素直に喜んでよいやら、正に運命の皮肉といった、少なからず複雑な感を禁じ得ない。
 然るに、当の地元の方々は、この事実を、むしろ「前向き」な方向にとらえ、この地を将来にわたって引き続き大切にしていこうとしていることが、現地に訪れてみて強く感じられた。特に「頂上」には、「高山植物採取禁止」「熊出没注意 熊が出たらあわてず餌をあげてください。」(!)などといった、実にユーモアに富んだ小看板が設置されていたりして… 正しく脱帽!という思いだった。さらには、近隣の公共施設(高砂市民センター)で「登頂証明書」まで発行されているなど(私もNo.314でGet!)、あれほどの大災厄に遭いながらも、地元の方々が皆で協力して、この地を再度盛り上げていこうという熱い「想い」に、大変感動させられた次第。この「想い」が続く限り、必ずや東北の被災地は被災前以上の復興を成し遂げるに違いない。







 ドライブのついでに訪問〜糠塚山
 今年の夏はどうも暑く、膝の状態ともあいまって、なかなか「山」に出掛ける機会のないまま、はや9月になってしまった。何とか今年中に、片道1〜2時間程度の山に登れる程度には回復したいものだと思っているが、いざとなると、なかなか外に足が向かない上、久々に気分が乗ってくると悪天候、といった具合で、どうも巡り合わせが悪い。以前なら土・日・祝日といえば、文字通り目の色を変えて山に出掛けていたものだが… 我ながら、何とも情けない状況に陥ってしまったものだ。
 9/18、この日も、もし天候が良ければ、ちょっと軽い山へでも… などと思っていたが、天気予報は無情にも雨模様。それでも、ただ家にいるだけでもつまらないので、佐久方面へドライブに出てみた。
 その帰り、小諸近くで、ふと「糠塚山」を思いつく。この山、ほとんど頂上まで車で行ける里山ではあるが、意外と明るい雰囲気で、もしかしたら蝶にも出逢えるかも… と期待したところ、狙い通り、頂上の草原では、秋の産卵前のヒョウモン類や、キアゲハなどの可憐な舞を見ることができた。
 なお、この山の頂上には、インドのネルー首相から贈られた舎利を祀ってあるという白亜の仏塔が建てられている。この仏塔、以前は麓からもよく目立って見上げられたものだが、最近は周囲に樹木が繁ったせいか、よく見えなくなってしまった。それゆえ私も、近くにさしかかるまで、この山のことなど全く念頭から消え去っていたのだが… 今回、改めて訪問してみて、現在の私のような者であっても、大して足腰に負担をかけずとも気軽に自然に接することができる、意外な好スポットであることを再認識できた次第。






 脚力回復の訓練に〜平尾富士(の南東の峰)
 10/9、三連休の中日。今日こそは、膝痛で衰えた脚力を少しでも回復するための山中歩行訓練をしたい… というわけで、時間的に往復2時間程度の山で、かつあまり人目につかなさそうな場所、という条件で、適当な山を検討の結果、佐久の「平尾富士」あたりがいいのではないかと思い定めた。
 この山、実のところ佐久市平尾山公園からサマーリフトを使えば、頂上まで20分程度で行けるようだが、それでは「訓練」の意味がないし、また今の場合、あまり俗化した賑やかな山に訪れるのも気が向かない。それに、私は過去に数回「平尾富士」には訪れたことがあるので… 雑踏を避ける見地からも、あえて同山の南東に連なる稜線上にある、本来の「平尾富士」頂上とほぼ同標高(1,150メートル等高線)の峰まで歩いてみることに。
 平尾山公園あたりから少々林道を進み、左にダートな森林作業道が分かれる辺の林道脇に駐車、以後はいよいよ徒歩で、ゆっくり歩き始めてみた。道は一見平坦なようながら、時折後を振り返ると、それなりの登りになっている。予想通り、周囲にはまるで人気もなく、途中で平尾富士の「卒寿路」なる小道が左に分かれる地点以外には、案内標識も特に目につかない。狙い通り、人目を避けて行う「訓練」には正しくうってつけの場所だ。
 行くほどに、よくぞここまで回復したものよと、我ながら感慨深いものがある。思えば今年、何かと慌ただしい日々の中、一時はもう私の「山」もお終いか… などと悲観したことすらあったほどだが、その私が、今、まがりなりにもこうして山を歩けているのだ。もっとも、結構な期間の運動不足の弊害はてきめんで、肌寒い中にもかかわらず、額からは汗がしたたり落ちる有様。
 それでも、どうにか目的通り、平尾富士南東の峰の上に立つことができて、ほっと一息。もっともそこは、当然ながら何の標識もなく、何の変哲もない狭い峰の頂上に過ぎず。また、その頃になって空模様もにわかに怪しくなってきたので、あえて腰を下ろして休息することもなく、そのまま往路を引き返した。駐車場所まで戻り、時間を確認すると、所用時間は往復約2時間程度。つまりその間、一度たりとも腰を下ろさず、歩き続けることができたわけだ! これでどうにか「今年中に、片道1〜2時間程度の山に登れる程度に回復」という目標にはほぼ到達できたといえようか。素直に嬉しい。
 しかもこの日は、途中で「キクラゲ」の一種を発見するという、思いがけない収穫まで得られた。自宅に持ち帰って調べてみると「ハナビラニカワダケ」というキクラゲの一種で、もちろん食用OK! 早速湯がき処理を施した上、同日に採取したジコボウ等と併せて中華スープに調理し、美味しくいただくことができた。あるいはこれで「山」のパワーをさらに我が身に採り入れることができたかも…!?






 脚力回復訓練第2弾〜三登山
 先の平尾富士(の南東の峰)での「訓練」の結果、案外、私の脚も回復してきているということに気を良くし、この傾向をより確たるものにしたい… というわけで、10/15、また別の山歩きをしてみることに。
 今回歩くのは、長野市の北東部に位置する「三登山」。私にとっては、これまで何度も訪れた馴染みの山ゆえ、勝手を知っているので安心であるという点、また前回の山歩きがあまりに「訓練」然としていすぎたので、今回は訓練だけでなく純粋に「山」の雰囲気も楽しみたく、全体的に静かで落ち着いた雰囲気が私の好みに合っているという点を勘案して、目的地に選定してみた。
 で… 歩き出してみると、前回の訓練時よりも、さらに身体が慣れてきたのか、我ながら案外普通に歩を進められたようだが… しかし、今日は割と気温が高めのせいか、汗は前回なみに身体から噴き出す。この鬱陶しい生理現象がもう少し収まってくれないうちは、寒い時期の長時間の山歩きがしにくい(風に吹かれた際に気化熱で体温が奪われ易い)ので… まだまだ、完全回復までの道のりは長いようだ。
 それでも、山歩き自体は、難なく推移し、無事に終えられた次第。ただ、この山の道には、以前、長野市の里山トレッキングルートとして整備された際、部分的にウッドチップが敷かれていたはずなのに、今回歩いてみたら、それが見当たらなかった点だけは不思議に思ったが。
 なお、この山、私が住む長野市街地からは朝な夕なにいつも眺められる身近な山ゆえ、前回の訪問はつい最近のことのように錯覚していたが… 帰宅後、この山行記録を書き記すついでに調べてみると、何と2014年の5月中旬に訪れて以来、8年振りの訪問だったと判明! いつの間にそんなに時が経ったのか…!? 道理でウッドチップが消えてなくなるわけだと思った。今更ながら「光陰矢の如し」という諺を身にしみて実感した次第。本当に、この勢いで時間が流れているのだとすれば、一寸の光陰すらも軽んじることはできないといった感が強い。







 現状が気になって〜大峰山(大峰城址)
 10/16、この日は当初、特に予定はなかったが、朝から割と天気が良かったので、折角だからと家を出た。無論今日は「訓練」などと堅苦しいことにこだわらず、別のことを確かめるのが目的で。
 その「目的」とは、長野市内の大峰山にある、高度成長期に建設された観光用展望台で現在は閉館されている「大峰城」がどうなったか、現状を見てみたいということ。というのも、最近、麓からこの山を見上げても、以前ははっきり目についた頂上の城の建物が見えなくなっているからで… 2015年に一度訪れた際には、まだ建物は残っていたが、ついに取り壊されてしまったのか、もしそうだとすれば、現状はどうなっているのか、かねて自身の目で確かめてみたいと思っていたところだった。
 そこで、私は車で「七曲り」の急坂経由で同山へと向かい… 結論から先に言えば、城の建物は現存していることが確認できた。また、城の建物が麓から見えなくなっているのは、周囲の樹木が成長し、建物を覆い隠してしまっているからだということも判った。同城がまだ営業している頃の様子を記憶している私にとっては、多少ほっとした思いであったが、しかしこのまま放置されていれば、近い将来には老朽化が進み、本当に取り壊されてしまうかもしれないと思うと… 何ともうら寂しい限りだ。今ともなれば貴重さを増しつつある高度成長期の建物遺産の一つでもあり、何とかリニューアルして後世に向けて活かしていく途はないものだろうか。
 なお、城の周囲には、寂れた雰囲気にはおよそ似つかわしくない、ホトトギスとかハナトラノオとか、可憐な花々が人知れず咲き誇っていたが、それらの多くも、本来のこの地の山野草ではなく、城の営業当時に周囲に植えられたものが、今も根付いて残っているもののように見受けられ… そのことがまた、余計に私の寂寥感をあおった。いかに「山」とはいえ、この場所、どうも今の私にとって長居に適した地とは言えないようだ。







 気分直しに〜紅葉の岩屋と安堵ヶ峰
 先刻、大峰山に訪れた結果、私の脳裡には「大峰城」営業当時の思い出などがぐるぐると駆け巡った挙句、(歳のせいか)はからずも異様に寂しい気持ちばかりが胸中にわだかまってしまった。こんな気分のまま家に戻るのは、さすがにやり切れないと思い、是非、どこか別の場所で気分直しを… というわけで、何となく旧戸隠バードラインを戸隠方面に向けてドライブしていく過程で、ふと、荒倉山中腹の「紅葉の岩屋」のことを思い出した。そこなら現在地(旧戸隠村)から距離的にも近くて手軽に訪れられるし、少なくとも自然の「岩屋」なら、人間が造った建物のように、たかだか数年で老朽化したり、著しく雰囲気が変わったりするものでもないので、ある意味、安心して訪問できるだろう… というわけで、早速、荒倉山の中腹をぬって通じる「釜岩林道」へと車を走らせた。
 途中、思いがけず「マムシ」に出逢ったりしながら進み、「龍虎隧道」を抜けた先の登り口前に駐車。以後は徒歩で、さほど時間も要さず岩屋まで。そこは私には既に何度も訪れている地であり、最近では2014年に長女の夏休み自由研究のサポートで訪れたところだが、思った通り、先の訪問時と全然様子は変わっていない。やれやれ、とりあえずは来てよかったわいと、まずは一安心。
 その後、駐車場所に戻る途中、折角だからと左に分かれる登り道を「安堵ヶ峰」まで上がってみた。その名の由来は、かつて平維茂の軍勢が鬼女紅葉の残党を追いつめて討ち取り安堵した地であるからとのことだが… 私には以前、荒倉山最高峰の「砂鉢山」に訪れる際に経由した懐かしい場所でもある。実のところ、さらに進んで砂鉢山手前の「霧見岳」あたりまで行ってみたい衝動にも多少かられたが、今の私はまだ膝の故障からの回復途上、これから先は険しい箇所もあるし、無理は禁物… と自戒しつつ、樹間に飯縄山の優美な姿を望んだりした後、若干の物足りなさと共に元来た道を戻った。







 物足りなさの払拭に〜妻女山(斎場山)
 「紅葉の岩屋」等への訪問後、私は一旦、長野市内の自宅に戻ったが… 天気は相変わらず良いわ、また先刻「安堵ヶ峰」への訪問時に感じた「物足りなさ」が結構しつこく胸中に渦巻いているわ、と、どうにもすっきりしない。かくなる上は、思い切ってもう一箇所、近くの小さい山でも良いから訪れ、件の「物足りなさ」を多少なりとも払拭して来よう、という気になり… 思うやいなや、自宅発。
 そして… 私が足を向けたのは、長野市内の松代にある「斎場山」。かの有名な川中島合戦の際、一般に越後の上杉勢が陣を敷いたとされる「妻女山」の南西に位置する、実はこちらこそが真の上杉本陣といわれている山だ。ここなら、訪れるにもさほど時間を要しないし、また半ば観光地化している「妻女山」のように人気もなく、静かで落ち着いた雰囲気を楽しむことができるだろう… というわけ。
 で… いざ訪れてみると、相変わらずの静けさの中、樹間からやや西に傾きつつある陽が優しく射し込む一種幻想的な道を行く、実に私好みの雰囲気で、「五量眼塚古墳」の上の頂上に立つ時には、正しく狙い通り、例の「物足りなさ」などは、いつの間にかどこかに消え去ってしまっていた。
 周囲を樹林に囲まれ、眺望は今一つの上、植生も単調で色彩的にも変化がないせいか、辺りの様子は、前回(2016年)の訪問時とほとんど変わりないように感じられたが、頂上の標識が当時より若干朽ちている様子に、またしても「光陰矢の如し」という諺を実感させられた次第。そんな中、ただ1頭間近に飛来したアカタテハの赤い翅の色は、きわめて鮮やかに私の眼に映じて印象的だった。もっとも、写真撮影には失敗し、残念至極であったが…






 脚力回復訓練第3弾〜千曲市の有明山
 このところ、私の「山」への意欲も存外回復しつつある。現に、去る土・日曜日は両日とも近隣の里山ながら、あちこち訪ね歩き… 特に日曜日は気の赴くまま、3箇所も訪れてしまったほどだ。10/22は、この傾向をさらに確たるものにすべく、「脚力回復訓練」の第3弾をと、自宅発。
 今回は、本当は松本市の美ヶ原辺りに訪れてみたかったのだが、いざ家を出てみると、空の雲行きが怪しい。これでは折角美ヶ原に行っても、北アルプスの眺望などは楽しめまい… と思うと、わざわざ松本市あたりまで行く気が失せた。それなら、どこか近所でと、新たな目的地の選定に想いを巡らせた末… 思いついたのが、千曲市にある「有明山」。ここなら、これまで「訓練」で訪れた山より傾斜が多少きつい箇所があるから、現在の自身の脚の状態を確かめるにも適当そうだし、また中腹には前方後円墳の「有明山将軍塚古墳」があるので、歴史探訪という面でも楽しめそうだ。
 そこで、早速、県立歴史館前から車道を車で上がり、一重山(屋代城址)の登り口まで乗り入れて手前のスペースに駐車。そこから徒歩で車道を多少戻り、あまり目立たない登り口から、いよいよ山中へ。最初のうちは我ながら、なかなか調子が良く、一汗かいた頃に「有明山将軍塚古墳」前に至った。自然、そこで小休止。そこからは樹間に高妻山の麗姿が望めたが、その他は残念ながら樹木に遮られて、眺望的には今一つ。
 呼吸が整うと、再度腰を上げ、頂上への道へ。路傍に秋の里山の常連・アキノキリンソウの花や、またクサギの鮮やかな咢と実などに目を奪われながら、頂上直下の急登にかかった。と… ここで、右足の足首あたりの筋肉が突然つり始め(!)、たまらず一時停止。したり、これは朝、発汗抑制のため、水分を控えめにしたのが裏目に出たようだ。
 おかげで、それからは右足の痛みが治まるまで、左足から先に、まるでカニみたいな恰好での進行を余儀なくされた挙句… どうにか頂上に達した時には、結局、全身が汗でびっしょりになっていたという体たらく。この程度の山で、何とも情けない限りだが… それでも、今年3月頃の状況を思えば、まがりなりにも進歩はしつつあるようだと思い直し、しばし頂上の静寂な雰囲気を楽しんだ後、元来た道を駐車場所まで戻った。







 脚力回復訓練第4弾〜和田峠近くの三峰山
 私が腰痛・膝痛からの「脚力回復訓練」を始めてから、間もなく1月になるが、その間、私にとっての「山」は着実に、前よりも進歩しつつあるように感じられる。そこで10/29、折角回復してきた「感覚」を保持すべく… また、軽い山歩きをしてみようと自宅発。
 この日は、当初の予定では「和田峠」あたりの旧中山道を歩いてみるつもりであった。が… いざ、現地に向けて車を走らせ、ビーナスラインが「三峰山」の山麓にかかったあたりで、急に妻が「あの山に登りたい」と言い出した。実はこの山、2006年に家族と一緒に訪れたことがあるのだが、明るい笹原の山稜の爽快さと、頂上からの360度の展望の素晴らしさが印象的で、私としても、そのうち再訪してみたいと思っていた山ではあったので、あっさり目的地変更、「三峰展望台」の駐車場から、ノンビリ笹原の中の道を歩き始めた。
 すると… 今日は最近の中でも特に調子がいい感じだ。道が良く踏まれていて歩き易いせいもあろうが、何より周囲の開放的な雰囲気による心理的効果が大きいか? ただ、当初はやや雲が多く、これは展望は今一つかと思いきや… 歩を進めるにしたがい、諏訪湖や南アルプスの山嶺などの眺めが周囲に開け出した。山稜一帯は明るい陽光に包まれ、風もほとんどなく、この季節、この標高の割には結構暖かい。
 頂上は、明るい笹原の中の道を3段ほど急・緩を繰り返した先にあるが、今日はさほど汗もかかず、また前回の千曲市有明山の時のように脚がつるようなこともなかった。ほっとして周囲を見回すと、雲は先程よりもさらに切れ、わずかながら北アルプスの穂高連峰辺りまで見渡せるようになっていた。これは、やはり来てよかった、と思いつつ、頂上にある露岩の一つに腰を下ろし、爽快な汗を拭いつつ、眺望を堪能。
 しばしの憩いの後、我々は往路を駐車場所まで戻ったが、その途中にもさらに雲は切れていき、今度は浅間山や、遠く富士山までもが見渡せるようになっていった! これで八ヶ岳連峰が見えれば満点だったのだが… にわか思い付きの山歩きで、そこまで期待しては贅沢というものか。ともあれ、私には久方ぶりに「山」らしい山を歩いたような充実感を味わえた貴重な一時だった。